小山千恵子は足を緩め、突然口を開くのが怖くなった。
浅野武樹がここに現れたということは、モリ先生の入院治療が終わったことを意味していた。
人混みの中に立つ男は、いつもの冷静さとは違い、少し緊張しているようだった。
彼は本革の手袋をはめ、袖口を整えているようだった。
小山千恵子の心が揺れた。
浅野武樹は緊張すると、無意識に袖口を整える癖があった。
そして、その手袋は彼女と浅野武樹がフランスで新婚旅行をした時に、古城の主人から手に入れた骨董品で、重要な場面でしか浅野武樹は着用しなかった。
すべての細部が、小山千恵子が考えたくない答えを指し示していた。
しかし、ショーが迫っており、今はそんなことを考えている場合ではなかった。
小山千恵子は数歩前に進み、躊躇いながら声をかけた。「浅野武樹?」