第407章 朝から動かないで

小山千恵子は目を大きく見開いたが、男の閉じた目と震える睫毛、そして眉間に寄せられた皺しか見えなかった。

一瞬のうちに、浅野武樹の体から漂う馴染みの木の香りが、消毒液とボディーソープの香りと混ざり合い、波のように彼女を包み込んだ。

目から涙が溢れ出し、耳には自分と浅野武樹の太鼓のような心音が響き、視界は涙で曇っていた。

小山千恵子の世界には、浅野武樹のキスと熱い息遣いしか残っていなかった。

彼女はとても疲れていた。理性を働かせて抵抗する気力もなく、ただ自分を甘やかして、一時的に余計な思いを忘れ、男の温かい腕の中に身を委ねたかった。

全ての葛藤や恩讐は、原始的な愛と欲望の中で消え去っていった。

二人の心の中で、お互いの影はもはや隠れようがなかった。

浅野武樹は心臓が喉から飛び出しそうだった。

女性の唇はとても柔らかく、しかし灼けるような温度と魅惑的な毒を帯びているようだった。

触れるたびに心が震えるほど熱く、しかしそれでもより一層抗いがたく溺れていく……

浅野武樹は喉仏を動かし、小山千恵子の頬に添えていた手を少し緩め、この危険なキスを終わらせようとした。

彼は我慢していた。生涯で最大の忍耐力と自制心を使い果たしそうなほどに。

本来なら、彼女の額に軽くキスをするだけのつもりだった……

しかし小山千恵子があんなにも可憐で無防備な表情を見せることは稀で、さらに止まることを知らない涙まで流して、彼の心の奥底に潜む火種に火をつけてしまった。

浅野武樹は手足がしびれ、内なる衝動を抑え込んでいた。

彼は既に傷つけてしまったこの女性を、優しく慰め、守るべきだった。

しかし彼は卑劣な狩人のように、彼女が涙を流す姿を見て、より一層いじめたくなり、か細い声で許しを乞う様子を聞きたくなった。

浅野武樹は数秒間呼吸が乱れ、全身の力を振り絞って半歩後ろに下がり、身を引こうとした。

「はぁ……」

息を整える間もなく、小山千恵子に胸元の服をつかまれ、不満げに甘い声を漏らした。

手を伸ばして彼を目の前に引き寄せ、つま先立ちして目を閉じ、浅野武樹のまだ熱を帯びた唇に自分の唇を重ねた。

浅野武樹は一瞬呆然とし、いつもは深く波立たない瞳を大きく見開き、思わず数秒間呼吸を止めた。

小山千恵子が、自分から彼にキスをしている?