離婚しよう

夜は更け、静寂が街を包み込んでいた。

鈴木之恵(すずき のえ)は気分が沈んでおり、良い夢を見ることもなく、寝返りを打ちながら寝言をつぶやいていた。

腰に手が回されるのを感じた彼女は、わざとベッドの端に数インチ移動したが、眠りかけたところで再び引き戻された。

之恵が再び離れようと頑なに身をよじると、男は強引に彼女を抱き寄せた。

こうして、それは何度も繰り返された。

彼女によって男の征服欲が呼び覚まされ、手は腰から離れ、次第に大胆さを増していった。

之恵は完全に目を覚ますと、彼の筋肉質な腕をつかんで押しのけようとし、涙声で懇願した。

「今日は本当に、そういう気分じゃないの」

結婚して三年、従順で素直な彼女が、初めて彼の要求を拒絶したのはこの時だった。

藤田深志(ふじた しんし)は彼女の言葉を無視し、体を覆いかぶさるように近づき、襟元をはだけさせると、強引にキスを丸みを帯びた肩に落とした。

抵抗など、無意味だった。

之恵は虚ろな目をして、全身が麻痺したかのように彼の横暴を受け入れ、堰を切ったように涙が溢れ出した。

暗闇の中でだけ、彼女はようやく涙を自由に流すことができた。

……

数時間前、之恵は深志の妹に荷物を届けるためバーへ向かい、帰り道で突如として強盗に襲われた。

その二人の犯人は彼女のブランドバッグやアクセサリー、財布には一切興味を示さず、ただ結婚指輪を奪った後、彼女を無言で暗がりに引きずり込もうとした。金目当ての強盗というよりも、明らかに計画的な暴行未遂だった。

もしあの時、警察官が通りかかっていなければ、今夜が彼女の命日になっていたのだろう。

彼女はボロボロに破れた服を抱きしめ、歩道の縁に蹲るようにして座り込み、震える手で深志に電話をかけた。その時、電話の向こうから艶やかな女性の声が響いてきた。

「深志はお風呂よ。何か用かしら?」

甘く艶のある声は、問いかけの裏に確固たる所有権の主張を含んでいた。

携帯からかすかな水音が聞こえ、それは晴天の霹靂のように之恵を打ちのめし、言葉を失った彼女は黙って携帯をしまい、街灯の下で声を殺して泣き崩れた。

この声には見覚えがあった。秋山奈緒(あきやま なお)、深志が心の奥底で大切にしていた女性。その声が再び響いたとき、深志の胸の中で何かが大きく揺れ動いた。彼女が、戻ってきたのだ。

電話を切ると、すぐに奈緒から挑発的なメッセージが届いた。たった一行の文章と一枚の写真、それだけだった。

「愛されていない方が、第三者ってことよ」

写真を拡大すると、そこにはエコー写真が映っていた。妊娠6週目、胎嚢がはっきりと確認できた。

一ヶ月ほど前、深志がM国に一週間の出張に出ていたことを思い出した。その時期が、今の状況とぴったり合うことに気づき、何かが腑に落ちたような気がした。

彼は彼らの赤ちゃんが生まれるのを、今か今かと心待ちにしているに違いない。

あまりにも多くの出来事が重なり、之恵の頭はその全てを処理することができなかった。心の中で混乱が渦巻き、何もかもが手に負えないように感じた。

彼女を救った警察官の質問が、心の中で何度も繰り返され、まるで耳にこびりついて離れなかった。

「あの二人は誰かに指示されていたようです。具体的に誰の指示かはまだ分かっていません。あなたに恨みを持つ人物はいますか?」

之恵は心の中で戦慄し、恐怖に駆られながら思考を巡らせた。一体誰が彼女をこんなにも害しようとするのか?家庭的で穏やかな主婦の彼女が、誰を怒らせることなどあるだろうか?考えに考えた末、彼女をここまで嫌う人物は一人しか思い浮かばなかった。

之恵は考え込みすぎて、周囲のことをすっかり忘れていた。

心の中に鋭い痛みが走り、それが全身を麻痺させているように感じた。

深志はその力を増し、まるで彼女の不注意を罰するかのように圧力をかけた。

「奈緒が帰国した。ちょうど私たちの契約期限も迫っているし、そろそろ離婚手続きを進めるべきだろう」

その言葉が彼の口から発せられた瞬間、之恵の心臓は激しく締めつけられ、息が詰まりそうになった。

関係の終わりを切り出すことは予想していたが、まさかこんな形で、こんなタイミングで言われるとは思わなかった。

最も親密な行為を交わしながら、彼はまるで他の女性の話をすることに何の躊躇もないかのように話し続けた。

これ以上、耐えられないほどの残酷さは存在しない。

深志、人は木や石じゃないわ。私にもちゃんと心があるのよ。

之恵は彼の下で震えが止まらず、声を震わせないように必死に抑え込もうとした。

「おめでとう。相思相愛の二人が結ばれて、素晴らしいわね」

暗闇の中、之恵は涙を浮かべながら、心にもない祝福の言葉を無理に口にした。愛する人のために、まるで塵のように卑しくなり、それでもその中で花を咲かせるものなのだと、痛みを抱えながら思った。

「泣いているのか?」

「泣いていない!」之恵は言い切るように強情に答えた。

深志は彼女の祝福の言葉に満足せず、その反応を掻き消すかのように、魂が引き裂かれるほど激しく彼女を攻めた。

之恵は一度、死の淵に立たされるような体験をした。

終わった後、彼は長い間、彼女の耳元に顔を寄せたまま、何も言わずに沈黙を保っていた。

「君も早く明人さんと幸せな時間を過ごせますように。もし何か困ったことがあれば、いつでも言って」

之恵は手足に力が入らず、嵐に引き裂かれる花のように、意識が闇に飲み込まれていった。

翌朝、之恵が目を覚ますと、ベッドには深志の姿が消えており、静寂が支配していた。

彼は並外れた自制心を持ち、たとえ夜遅くまで起きていても、決まった時間に起きて運動し、朝食を摂り、ニュースをチェックする習慣が身についていた。

まるで決められたプログラムに従う機械のように、無駄のない動きで生活していた。

之恵は無駄のない動きで身支度を整え、階下へと降りた。リビングのテレビでは、昨夜宝栄通りで発生した性的暴行未遂事件が報じられていた。

深志は狭いダイニングに座り、黒いシャツの袖をまくり上げ、引き締まった筋肉の美しい腕を見せつけていた。直角に突き出た肩がシャツを一層引き立て、彼の冷徹で硬直した性格そのままに、彼女には一切の温もりを見せようとはしなかった。

左手に経済誌を持ち、右手で作りたてのサンドイッチをつまみながら、テレビに映し出された衝撃的なニュースには一切の関心を向けなかった。

その全体的な姿が、禁欲的で冷徹な雰囲気をまとい、周囲の空気すら凍らせるような印象を与えていた。

「奥様、今日はうどんにしますか、それともワンタンにしますか?」家政婦の小柳さんは、之恵が降りてくるのを見て、優しい笑顔で尋ねた。

「何でもいいです。小柳さん、これからは私のことを鈴木さんと呼んでください」之恵は唇を噛みながら、その言葉を絞り出すように言った。

小柳さんの笑顔が一瞬で凍りついた。その言葉の意味を探るように、深志と之恵の間を視線で行き来させながら、どう答えるべきか迷っているようだった。

「好きにさせろ」

深志は冷たく一言返すと、目を上げることもなく、無感情に雑誌に目を落とした。

食事が半分ほど進んだ頃、深志は席を立ち、約一分後にはテーブルの上に二通の離婚協議書と一枚の小切手を投げ出した。その動作はまるで形式的な手続きのようだった。

「これにサインして。小切手の金額は好きに書いて」深志の声には、何の興味も感情も込められていなかった。

之恵は一瞬躊躇い、顔を上げると、彼の黒曜石のように冷たく深い瞳と目が合った。

彼は藤田ジュエリーグループの後継者で、京都府の経済の命運を握る存在だった。ビジネス界で風雲を巻き起こし、誰にも情けをかけず、冷徹にその力を振るっていた。

そんな彼に愛されようとし、愛情を求めようとした自分が、あまりにも愚かに思えた。

なんて愚かしいことをしてしまったのだろう。

之恵はペンを取ると、迷うことなく最後のページを開き、自分の名前をただ書き込んだ。内容には目もくれなかった。

「婚姻届を出し直すのは、いつになる?」

彼女は無表情で尋ねた。

深志の目に、はっきりと不快感が浮かんだ。

「そんなに急いでいるのか?」深志は冷たく問いかけた。

之恵はワンタンを一口かじった。まるで蝋を噛むような、冷たく硬い感覚が口の中に広がった。表情は冷徹そのものであったが、内心では感情の大波が荒れ狂っていた。呼吸さえも震え、押し殺すことができない感情に必死に耐えながら、最後の尊厳を守ろうとした。

「秋山さんとのお邪魔をしたくないだけよ」と、之恵は控えめに言った。

深志は軽く嘲笑い、協議書を取り戻すと、甲の欄に流麗な筆跡で自分の名前を記した。その動作はまるで支配者が自分の領域を確立するかのようだった。

「明人さんに会いたくて急いでいるんじゃないのか?」深志は冷たく、少し挑発的に言った。