柏木正は客を見送って戻ってきてドアをノックした。
「藤田社長、話がまとまりましたら、法務部に契約書の準備を指示しますが、仁田社長と条項の確認が必要になります。」
藤田深志は頷いた。
「契約書はできるだけ早く作成してください。デザイン部と市場部を先に移転させましょう。人事部に全員と面談してもらい、東京都への異動を希望する者には給与を10%増額、希望しない者には3倍の補償金で契約解除とし、こちらで新たに人員を募集してチームを拡充します。」
柏木正は社長の指示を一つ一つメモに取った。
「藤田社長、こちらでも秘書やアシスタントを何名か採用すべきでしょうか?」
藤田深志は仕事に厳格で、彼の下で働くのは容易ではなかった。京都府の秘書部には十数名いたが、忙しい時期には全員が休む暇もないほど働かされていた。
アシスタントがいなければ、柏木正の特別補佐としての仕事も円滑に進められないだろう。
「人事部に相談させて、既存のスタッフを可能な限り活用しましょう。」
柏木正は理解した。デザイン部と同じ原則を適用するということだ。
藤田深志は指示を終えてから、鈴木之恵からのメッセージに気付いた。無意識に唇を舐め、指先で拭うと、薄い赤が手に付いた。
柏木正は仕事のメモを取ることに集中していて気付かなかったが、藤田深志のこの動作に目を引かれた。柏木正は軽く咳払いをし、笑いを堪えながら、
「社長、左側にもまだ残っています。」
藤田深志は他の指で左側を拭うと、また薄い赤が付いた。
「社長、上唇も……」
藤田深志の鋭い視線を受け、柏木正は残りの言葉を飲み込んだ。
「他に用件は?」
柏木正には確かにまだ伝えていない事項があった。
「社長、銘瑞黄金の季山社長が今晩の食事にお誘いです。」
「今晩は予定がある。」
藤田深志は鈴木之恵との朝食の約束を思い出し、ほとんど躊躇することなく断った。
「承知しました。」
柏木正は素早くオフィスを出た。
カルマジュエリー。
鈴木之恵は陸田直木から送られてきた情報を受け取った。人気俳優の田中晃の詳細な個人情報と、彼の広告出演料だった。
鈴木之恵は鈴木由典に確認したところ、陸田直木が提示した価格は非常に良心的で、田中晃の全ての広告契約の中で最低価格だと言えるものだった。
【少し安すぎませんか?】