第146章 南雲泉が去った

「結構です」南雲泉は断った。

ため息をつくように、結城暁は言った。「たった一晩だけだよ。私が何かするとでも思うのか?」

南雲泉は唇を噛んで、何も言わなかった。

何かが起こるのを恐れているわけではない。ただ、長く一緒にいればいるほど、別れがつらくなると思っただけだ。

「君はここに残って、私は会社で寝る。明日の朝、送っていくから」

彼がそこまで言うなら、南雲泉はただ頷くしかなかった。「わかりました」

翌朝早く、南雲泉は目を覚ました。時計を見ると、まだ6時過ぎだった。彼女は麺を茹でて、簡単な朝食を済ませた。

全ての荷物を片付け終わっても、まだ8時にもなっていなかった。

スーツケースを玄関まで運んだとき、彼女は我慢できずに2階に上がった。

2階から下を見下ろしながら、彼女は感慨深い気持ちになった。初めてこの部屋に入った時のことを思い出した。どれほど期待に胸を膨らませ、心躍らせていたことか。

あの時、彼女は結婚後の生活に夢を描いていた。ドアを開けた瞬間、幸せと甘い気持ちでいっぱいだった。

たくさんの夢を見ていた。毎朝愛情たっぷりの朝食を作ること、直接彼のネクタイを結んであげること、夜は書斎で一緒に過ごし、彼が仕事をする傍らで彼女が勉強をして、共に成長していくこと。

週末の朝、二人で抱き合いながら目覚め、外の雨が芭蕉の葉を打つ音を楽しむ、そんな風情ある時間も想像していた。

しかし後になって、現実は彼女に痛烈な一撃を与えた。

彼女が思い描いたこれらのことは、一つも実現しなかった。全てが空しく終わった。

結局のところ、愛のない結婚は空っぽの殻に過ぎない。魂さえない。どうして幸せになれるだろうか。

ここに入った時、彼女は彼とここで一生を過ごすと思っていた。老いて、この世を去るまで。

まさか、こんなにも惨めな形で去ることになるとは思わなかった。

書斎を通り、寝室を通り……

最後に、南雲泉は1階に戻った。

もう8時になっているのに、結城暁はまだ戻ってこなかった。

少し考えた後、彼女は電話をかけることにした。

結城暁の携帯電話は机の上でドンドンと振動していたが、彼には最後まで電話に出る勇気がなかった。

そう、彼は怖くなっていた。

彼女が去っていく姿を、その背中が遠ざかっていくのを、目の当たりにする勇気が全くないことに気付いた。