第306話 あなたに用がある

木村花絵は手を振って笑いながら言った。「分かりました先輩、じゃあ私は仕事に戻ります。遅刻しそうなので」

野村香織は頷いた。「ええ、人事部に直接行って。異動の手続きをしてもらえるわ」

木村花絵がウサギのようにピョンピョン跳ねながら会社に戻っていくのを見送ってから、野村香織は隣に停まっているロールスロイスに目を向けた。二重のガラス越しでも、中の男性が自分を見ているのが分かった。野村香織は眉を上げ、ドアを開けて車を降り、運転席の窓をノックした。「もういいでしょ!」

窓がゆっくりと下がり、渡辺大輔の万年氷のような冷たい表情が現れた。彼は顔を上げて野村香織を見て言った。「話があるんだ」

野村香織は隣の車を指差して言った。「何か用があるなら早く言って。私の車、エンジンかけっぱなしだから」