詩音は首を振り、ため息をついてから言った。「なんか、すごくお腹空いてる顔してる。まさか綾瀬家、食事も出さないなんてこと…ないよね??」
「うん、綾瀬家はそんなことしないけど、綾瀬光秀はするわ」優奈はそう言って、まるで他人事のように笑った。
「綾瀬のおじさんに訴えたら?そうしないと、いじめられ続けるわよ」
優奈はふっと笑って言った。無理だよ。今は光秀と二人きりで別の家に住んでるから、綾瀬のおじさんだって、ずっと私の味方ってわけにはいかない。それに…もう十分、迷惑かけすぎたと思ってるわ」
詩音は諦めたように言った。「わかったわ。でも困ったことがあったら必ず私に言ってね。どうしようもなくなったら、これからうちに食べに来ればいいわ」
優奈は思わず吹き出して笑った。けれどすぐに顔を上げて、向かいに座る詩音をまっすぐ見据える。「私はあの男の家で永遠にご飯が食べられないままでいるつもりはないわよ」
彼女の言葉が終わるか終わらないかのうちに、レストランの入り口から見慣れた姿が入ってくるのが見えた。
正確に言えば、二人だった。彼女にご飯を食べさせない綾瀬光秀と、もう一人女性がいた。
ウェイターが熱心に彼らを案内し、優奈は光秀がその女性と座った後、笑顔で何かを話しているのを見た。
彼女が光秀との結婚は、状況に追い込まれた末の選択だった。この男が自分に優しくしてくれるなど期待していなかった。
それでも。自分への冷たさと、他の女性に向けられる優しさがあまりにも対照的すぎて。胸の奥に、どうしようもない苦さがじわりと広がっていくのを、止められなかった。
視線を戻そうとした時、光秀の視線が突然こちらに向けられた。優奈はびっくりして、急いで視線を外した。「詩音、行きましょう」
優奈は目の端でその男が元の場所に座ったまま動かず、視線も外していないのを見た。
しかし、彼女と詩音が出る経路は彼らの前を通らなければならなかった。
彼女は元々黙って通り過ぎるつもりだったが、男が口を開いた後、無意識に足を止めた。「高橋優奈、お前は俺をつけているのか?」
彼女は振り向かず、深呼吸した。「いいえ」
彼女は言い終わると足を上げて立ち去ろうとしたが、手首を男に掴まれた。
光秀が立ち上がり、優奈の耳元に男の警告するような声が響いた。「次があると知ったら承知しないぞ」
優奈は彼の手を振り払った。「あなたの彼女が、一緒に食事するのを待ってるでしょ。…私はもう行くわ」
光秀は目を細め、「彼女」という言葉を口にした優奈に、一瞬だけ信じられないような視線を向けた。しばらくすると冷たく優奈に言った。「消えろ!」
許可を得て、優奈はようやく詩音を引っ張って立ち去ろうとした。
しかし、詩音は彼女の手を振り払い、光秀の前に歩み寄り、声を低くして言った。「綾瀬さん、あなたが連れてきたこの女性は、あなたと優奈の関係を知っているの?」
光秀は彼女の言葉を聞いていないかのように、全く動じなかった。
詩音はにこやかに笑ってみせたが、その声には冷たい棘が潜んでいた。「うちの優奈は、そう簡単に誰かに踏みにじられるような子じゃない。彼女と結婚できたのは、あなたにとって幸運だったはず。それを大事にしないどころか、食事すら与えないなんて。綾瀬社長が嫁を虐待していると暴露されたら、綾瀬家全体が横浜の笑い者になるわよ」
男は眉をひそめ、いらだたしげに反問した。「お前は誰だ?」
「私は彼女の親友...」
彼女の言葉は半分しか言えないうちに、優奈に引っ張られて立ち去った。
レストランを出て詩音の車に乗り込むと、優奈優奈はふと店内を振り返り、視線を戻してから詩音に言った。「あんなふうに言わなくてもよかったのに。もしあの人が私のせいで怒って、根岸家に何かしてきたら――あなた、巻き添えになるだけだよ」
「え?あんな男って、そんなに器ちっちゃいの?先に言ってよ!」
優奈「…」
一方その頃、レストランの店内では。光秀の向かいに座る女が、彼の張りつめた表情を見て、恐る恐る口を開いた。「…光秀お兄ちゃん。さっきの二人って…誰?」