Memory for the Nothing

壁を水が伝う。

そこは地上より遥かに下の洞窟の中だった。

崩れてもなお鉱物で薄明るいその洞窟に一つの繭があった。

その黒い繊維で包まれた繭の中で動く影が一つあった。

めきめきと音を立てやがてそこから一人の人間が生まれた。

地に落ちた片腕のないその人間の女は目をゆっくり開き周りの景色を見てこうささやいた

「私は誰なんだろう...」と。

寒い...

繭から滴り落ちた水でびしょぬれになっていた。彼女は服というよりも布切れといったほうが

良いのではないかというような見た目の服の袖で顔をぬぐった。

自分を知らない彼女は周りの状況を知るために歩みを進めた。

「んー...」

にしても知らない景色である。

周りは天井が崩れたかのように岩が散乱し、辛うじて空間ができているであろう情景だ。

その先に上に行く道が見えた彼女は出口を探すためそっちのほうに歩いた。

洞窟にはなにか人の形跡があり、あちこちに人工物が散乱していた。

どれも錆びたり朽ちたりしていて年月が経ったような見た目をしている。

暫くすると何かの声が聞こえた。人ではない、獣に似た声が

「あいつらか...」

彼女は知っていた。その声の主の正体を。足元にあった鉄管を片手で持ち、

即席の武器として強く握りしめた。いつ来ても迎撃できるように

しばらくして声の主が顔を出した。動物のような、四足歩行の白い獣は食べ物を

探しているのだろう。匂いを嗅ぎまわりながらこちらに来た。

その姿を見て彼女もまた自分が空腹であることに気が付いた。

隠れていた一人と獣は正面に向き合った。

空腹の生き物が二匹、お互いに向き合った。言葉はなくともお互いがお互い、

何をしようとしているのか分かっていた。少女は武器を握りしめ、獣は牙をむき出しにした

獣が飛びかかった。彼女は身をかわし、鉄管を振りかざした。

確実に入った。頭蓋を粉砕し、脳みそをぐちゃぐちゃにした。

獣は息も絶え絶えに筋肉を動かし、生きながらえようとした。

彼女はその上から獣に齧りつきその生命を貪った。

力が内から湧いてくる。目がギラリと光り、恍惚な気持ちが押し寄せる。

その時、いびつな左手が再生した。

まるで人間のそれではなく、怪物の手のような左手が。

その腕に驚きながらもよく見ようとしたその時、体が大きく吹っ飛ばされた。

瓦礫を超えてさらに向こう側の壁に身体をたたきつけられた。

「かは...」

まだ体が完全に治っていないのだろう。壁に叩きつけられたダメージは彼女の体に深く刻まれ、脳震盪を起こし、

「ゲホ...!ゴホ...!!!」

血を吐いた。歪む視界でかろうじて見えたその獣は彼女の何十倍もの大きさだった。

身体が動かず、ズキズキと痛み軋む感覚が全身に走っている。

彼女は目を瞑り、運命だと受け入れた。が、そのときどこからか飛翔体が飛んできた

飛んできた方向を見ると2人の人影がそこにいた。

「大丈夫か!?しっかりしろ!今そっちに行くからな!」

しかしその言葉より先に巨大な獣が動いていた。2人のうち女性の方を雷が穿ち、瀕死であろう状態だった。

獣が男性の方を睨んでいた。

「助け...ないと...」

しかし手負いの少女に何ができるであろう。

頭から血を流し、回復した傷も無意味になるほどの深手を負った少女に何ができるか。

少女は願った。誰一人死なせたくないと。ここからあいつを殺せる力が欲しいと。

その時少女の意識に霧がかかった。いや、どす黒い液体なのかもしれない。

それは意識を吞み込み、彼女の意識を真っ黒く染め上げた。

「ウアアアアアアア!!!」

少女は叫んだ。しかしその叫び声は

「グゥオアアアアアアアア!!!」

という人とはかけ離れた獣の叫び声になっていた。

「オリバー...私を置いて逃げて...」

「そんなことできるわけないだろ!」

勇敢な1人と死にかけの1人その前に立ちはだかる巨大な圧倒的な力を持つ獣

それが襲い掛かろうとしたとき、黒い何かが獣を吹っ飛ばした。

もう一体

どこからともなく現れた黒い獣は人間ではなく雷を操る獣に対して咆哮し、敵意を向けた

「グオオオオオオァァァァア!!!」

その獣にはどこか彼女の面影の角や腕がある

「大丈夫かい!?」

通信機越しの男性が声を張り上げる。

「なんとか...大丈夫だ...」

男は疑問だった

「人間が...人間が奇獣(キメラ)になるってあり得ることなのか?」

どう考えても争いではなく、何かを守るために

戦う黒い獣が普通の奇獣でないことは明らかだった。

雷の奇獣の攻撃をものともせず、ただひたすら己の力でねじ伏せるその獣は

腕を引きちぎり、悶える相手に嚙みつき、容赦なくとどめをさした。

「エルメス...通信が切れたら俺たちは助からなかったと思ってくれ」

次は自分たちか

そう思った2人であったが黒い獣はこっちをじっと見るだけで何もしてこない

暫くすると獣が膝をつき、煙を上げて消滅していく。

獣の胸辺りから彼女が落ちてきた。どさり地面に落ちた彼女は寝息を立てて眠っていた。