明彦は冷たい目で淡々と言った。「忘れたのか?吉の法的な後見人はこの俺だ。彼をどこに送るかは、俺の判断で決まる。若菜、お前が辰也と結婚しないのなら、本当に吉とは二度と会えなくなるぞ。どちらが大切か、よく考えるんだな」
「お姉ちゃん…」吉は嗚咽をこらえながら、悲しげな瞳で彼女を見つめた。
彼はお姉ちゃんと離れたくなかった。けれど、自分のためにお姉ちゃんが犠牲になることも望んでいなかった。
「吉…」若菜も泣いた。彼は彼女にとって、たった一人の弟であり、唯一の肉親だった。
彼女に、吉に苦労をさせるなんてことができるはずがなかった。
吉のためなら、命を捨ててもかまわなかった。
若菜はその場に崩れ落ち、焦点の合わない目でぽつりとつぶやいた。「どうして…どうして私なの…」
辰也は誰もが憧れる人で、望めばどんな女性も手に入るはずなのに…どうして、どうしてよりによって彼女なの?
「理由なんていらない。ただ三日後、お前は花嫁になる準備をしていろ。その間、吉は別の場所に預ける。お前が素直に従えば、また会わせてやる」
明彦はその冷たい言葉を言い終えると、一切の情を見せずに吉の小さな手を無理やり引き、背を向けて立ち去ろうとした。
「お姉ちゃん、離して!お姉ちゃんがいいよ!」
「吉、吉を返して!」若菜は必死に這い上がり、震える足で明彦の後を追おうとした。
慧子は冷ややかに使用人たちに目配せを送り、彼らはすぐに若菜の行く手を塞いだ。その間に明彦は、吉の手をしっかりと握り締め、何事もなかったかのようにゆっくりとその場を離れていった。
若菜は力なく抵抗を諦めると、ふと振り返り、彼女たちを鋭く睨みつけた。その瞳には、深く濃い憎悪の炎が燃え盛っていた。
「こんなことをして、必ず報いを受けるわ!」
心は心配せずに笑みを浮かべ、優雅な足取りで若菜の前へ歩み寄った。美しくも冷酷な眼差しで彼女を見つめ、静かに言葉を紡いだ。
「若菜、辰也はあんなに条件がいいのに、なぜ私じゃなくてあなたが彼と結婚するのか、分かってる?彼には何人の妻がいたか知ってる?」
心はケラケラと笑いながら続けた。「五人よ。辰也は八字(はっぴ)が強すぎて、妻運が悪いの。彼の前の五人の妻はみんな彼に殺されたって噂よ。聞いた話だと、彼は六人の妻を殺すらしい。だから、あなたがちょうど六人目ね。嫁いだら、おそらく長くは生きられないわ。報いを受けるって言ったけど、誰が先に報いを受けるのか、見てみましょう」
若菜の驚愕の表情を見て、心は胸の内でひどく痛快さを味わった。
彼女はずっとこの日を待ち望んでいた。ついに、若菜が完全に打ち砕かれる瞬間を目の当たりにできたのだ。
————
若菜には選択肢がなく、辰也との結婚を余儀なくされていた。
彼女が吉の世話を完全に任せられるようになる前に、明彦に吉を海外へ送るよう迫るリスクはどうしても冒せなかった。
結婚式は三日後に執り行われた。
それまでに明彦は多くの利益を得ていた。辰也と大きな取引を結んだだけでなく、さらに一億円もの天文学的な結納金も手に入れていたのだ。
明彦はポケットを膨らませて得をしたが、若菜は完全に損をした。自分の人生を犠牲にしただけでなく、何も得られなかったのだ。
やがて結婚の日が訪れた。
これは結婚式のない結婚で、婚姻届を提出しただけで、すべてが終わったと見なされた。
しかも、婚姻届を提出する際に辰也はまったく姿を現さなかった。
若菜は、彼は結婚回数が多すぎて、おそらく結婚をそれほど重要視していないのだろうと考えた。しかし、彼女自身も結婚式に期待していなかったため、こうしてシンプルに済むのが一番良いと思っていた。
豪華な車が、まるで純ヨーロッパ風の城の前で停まった。
結婚証明書を手に入れるとすぐに、若菜は辰也の別荘へと送られた。
彼らの新居はとても広く美しかったが、若菜はそれを楽しむ気分ではなく、ただ疲れ切ってベッドに倒れ込み、そのまま眠り込んでしまった。
「辰也さん……だめ……いけないわ……」