秋山直子がまとめたのは地下原子炉の報告書だった。
地下原子炉はそこに何年もあり、国内外の数え切れない研究チームが調査に来たが、何も発見できなかった。
原子炉の発見者は確かに多くの研究結果を残していたが、それらはすべてコードのような文字の集まりだった。
これまで何年もの間、芳賀博たちは何度も歴史研究者を招いて、これらの手がかりのない記号コードを解読しようとしたが、依然として何の成果も得られなかった。
原子炉を一度起動するにはエネルギーを消費するため、中に入ることを許可される人は少なかった。
中に入った人のほとんどは見識を広げたが、実際に役立つ実験報告書を書き上げた人は少なかった。
特に最近の数年はさらに少なくなっていた。
原子炉が反応エネルギーの衝撃位置を制御できる金属についてはまだ手がかりがなかった。