お坊ちゃまに何をした

鈴木音夢は震える指を、そっと卓田越彦の鼻の前に伸ばした。

彼の鼻からまだ息がしているという事実を確かめると、鈴木音夢はようやく安堵のため息をついた。

もし彼女が来てすぐに卓田越彦が死んでしまったら、卓田家が必ず調査を行い、彼女が入れ替わりの身だと気づいて、鈴木家の全員を見逃すはずがない。

彼女は卓田越彦を押しのけ、ベッドから起き上がった。

この獣はさきほど、彼女を犯すところだった。

こんな人間のクズは、死んでも当然だ。むしろ死んだ方が社会から一人のろくでなしが減り、人類に貢献することになる。

心の中ではそう思いつつも、鈴木音夢はすぐにクローゼットに行き、手当たり次第にバスローブを一枚取って羽織り、医師を呼ぶために外へ出た。

林執事は医療チームと共に階下で待機していた。医師たちは卓田越彦の身の安全が心配で、立ち去らなかった。

かといって上がることもできず、卓田越彦に何かされるのではないかと恐れていた。

「林執事、長男様が気を失いましたよ」鈴木音夢は階下に向かって大声で呼びかけた。

林執事は医療チームを率いてすぐに階段を駆け上がった。「鈴木さん、お坊ちゃまに何をなさったんですか?」

鈴木音夢は不当に思った。卓田越彦のあそこを蹴ったことと、彼の舌を噛んだこと以外、彼女は本当に何もしなかった。

主治医の谷口先生は床に散らばった破れた服と、鈴木音夢の姿を見ると、思わず首を振った。「鈴木さん、お坊ちゃまは精神が不安定で、激しい運動には適していませんよ」

鈴木音夢はその医師の視線を見て、顔が一気に真っ赤になった。

この医師の今の言葉、そしてその視線は、どういう意味だった?

まさか彼女の方が卓田越彦という獣を、犯したとでも思っているのだろうか?

続いて、林執事も彼女を鋭い目で見た。「お坊ちゃまに何かあったら、覚悟しておきなさい」

鈴木音夢は黙って後ろへ下がり、医師たちが機器を持ち出し、卓田越彦の体に取り付けて検査するのを、ただ見ているだけ。

彼女にはそれ以上声を出す勇気もない。さきほど卓田越彦に押さえつけられた時、あれほど力が強かったのに、彼女の一蹴り程度で、大した傷を残すはずはない。

約30分後、谷口先生はようやく機器を片付けた。「お坊ちゃまは今のところ大丈夫ですが、脳内の血栓が消えない限り、視力に影響するだけでなく、他の後遺症も出る恐れがあります」

「すぐに主人に報告してきます。鈴木様、お坊ちゃまのことは任せました。お坊ちゃまにまた何かあれば、お坊ちゃまへの弔いに、鈴木家の全員に償ってもらいますよ」

林執事はそう言い残し、医師たちを連れて出て行った。

鈴木音夢は怖くて足がすくんだ。今、ベッドの上の卓田越彦を見ると、まったく生気のない顔が目に入った。

彼女は少しながらも、つい罪悪感を覚えた。あの蹴りで本当に彼を傷付けたのかな?

卓田越彦が再び目を覚ましたのは、すでに午後6時過ぎで、医師が残した点滴も終わるところだ。

鈴木音夢は彼が目覚めたのを見て、ようやく安心したが、同時に大敵を前にしたような緊張感も覚えた。この男がいつ変態的な行動に出るか分からないからだ。

彼女は先手を打つことにした。「先生が言ってましたよ。あなたの脳内に血栓があるから、激しい運動は体に良くないって」

卓田越彦は彼女の声を聞くと、眉をしかめた。「残ってくれて、いい度胸だな」

この悪魔め、私だって帰りたいわよ。あなたが私との婚約を解消しない限り、私は永崎城から出られないじゃない。

鈴木音夢はそう思いながらも、生き延びるためには卓田越彦とできるだけ平和に過ごすべきだと思った。

もしかしたら、この悪魔だっていつか病気が治れば、改心して慈悲心が目覚めて、彼女を解放してくれるかもしれない。

「わ…私はあなたの看病をするために来たの。だからその病気が良くなるまで、私は行かないわ」

卓田越彦は、今日はあのように彼女に接したから、どう考えても彼女は恐怖で逃げ出すと思っていたが、まさか彼女にはそばに残る勇気があるとは思わなかった。

「お前、名前は?」卓田越彦は不意に尋ねた。顔は相変わらず一切の感情を表さない氷山のままだが。