安藤凪は部屋を出て、温泉湯のレストランへと向かった。レストランに行くには中庭を通らなければならない。夜の静かで少し湿った空間には、虫の澄んだ鳴き声が響いていた。
そのとき、背後から「パキッ」という音が、はっきりと聞こえた。
誰かが枯れ枝を踏み折ったような音だった。
安藤凪の心臓がドキリとした。冷たい風が顔を撫で、彼女の心に不安が広がり、腕には鳥肌が立った。振り返る勇気はなく、足取りは自然と速くなった。このとき、以前見た恐怖映画の場面が安藤凪の頭の中によみがえった。
背後の異様な音はますます明確になり、彼女は息を殺した。中庭を通り抜けようとしたとき、突然腕が冷たい手に掴まれた。その瞬間、安藤凪の心臓は二秒間停止したかのようで、思わず悲鳴を上げた。
「凪ちゃん、僕だよ」
聞き慣れた男性の声に、安藤凪は少し落ち着いた。
彼女は硬直しながら振り返り、視線をゆっくりと下に移動させた。車椅子に座っている姿を見たとき、彼女は掴まれていた手を引き抜き、急に二歩後退し、警戒心を持って男性を見つめた。
安藤凪はここで鈴木湊に出会うとは思っていなかった。
本来なら病院にいるはずの男性だ。
今の鈴木湊は、淡いブルーの寝間着を着て、怪我をした左足には石膏が巻かれ、顔には包帯が巻かれていた。目と鼻、口だけが露出していて、電動車椅子に座っていた。
彼の声を聞き分けていなければ、道で突然会っても、この人が鈴木湊だとは絶対に分からなかっただろう。
「凪ちゃん、そんなに警戒しなくてもいいよ。君も知っているはずだ、僕は一度も君を傷つけようとしたことはない。確かに多くのことをしてきたけど、最初から最後まで、君に何かをしようとは思っていなかった」
鈴木湊は苦笑いし、この状況でも安藤凪に情に訴えようとしていた。
安藤凪は当然、鈴木湊のこの手には乗らなかった。
鈴木湊が自分に何もしていないだって?彼こそが、何度も自分と福井斗真の間に誤解を生み出し、自分が出産間近のとき、体の危険を顧みず無理やり中絶させようとした張本人だ。
また、鈴木湊こそが福井佳子と山田嵐の二人を唆して自分の子供を盗もうとした。鈴木湊はこれらを「何もしていない」と言うのか?