あの出来事は、森川記憶が偶然に髙橋綾人に「キス」してしまった6日後に起こった。
その偶然の「キス」が起きた翌日は、髙橋綾人が退院する日だった。田中白は午前10時に病院に来て、髙橋綾人のために上の階から下の階まで走り回り、ほぼ1時間かけてようやく退院手続きを済ませた。
前夜あまり眠れなかった森川記憶は、田中白が提案した一緒に昼食を食べるという誘いを丁重に断り、そのまま家に帰った。
家に帰った後の森川記憶は、相変わらず家に引きこもって外出せず、髙橋綾人が病気で入院し、彼女が病院で付き添いケアした丸10日間のことは、まるで湖に投げ込まれた小さな石ころのように、二人の間に大きな波紋を起こすことはなかった。彼と彼女が別れた後、彼女は髙橋綾人に連絡せず、髙橋綾人も彼女に連絡しなかった。あの出来事はまるで取るに足らない小さな挿話のように、彼と彼女の人生の中であっさりと過ぎ去っていった。
もし6日後にあの出来事が起こらなければ、森川記憶は実際、自分と髙橋綾人が次に会うのがいつになるのか分からなかっただろう。
『三千の狂い』の人気放送に伴い、青陽姫というキャラクターが視聴者に与える印象はますます深くなり、さらにYC会社と契約した最初の女性芸能人というラベルも加わって、森川記憶はすぐに多くの人に記憶され、同時に大きくはないが小さくもない仕事のオファーが次々と森川記憶のもとに舞い込むようになった。
YC会社は森川記憶のために既に多くの仕事を手配していた。森川記憶を担当するマネージャーは松本儀子といい、年齢はそれほど高くなかったが、業界で10年間浸かっており、彼女が手がけた一線級の芸能人は十数人にも及んだ。
松本儀子は頭脳も経験もあり、森川記憶に舞い込んだ仕事の中から厳選し、最終的には広告代理店の契約だけを決定した。
森川記憶は人気が出たので、次はその人気を維持する必要があった。YC会社が森川記憶のために手配した仕事の一つは、あるテレビ局で約10年間放送されている超人気バラエティ番組だった。
今回の収録スケジュールはかなり急で、わずか2日間しかなかったため、収録初日の朝、空がまだ完全に明るくならないうちに、松本儀子は車を運転して森川記憶の家の前で待っていた。
収録現場は京都南部郊外の映画スタジオにあり、車で向かうと午前7時になっていた。