髙橋綾人は森川記憶の返事を聞いて、松本儀子の方を向いた。「彼女を先に帝国ホテルに連れて行って食事をさせてあげて、もう席を予約してある」
なるほど、彼は用事があって忙しくても、彼女のランチのことを考えていたのか?
「わかりました、高橋社長」森川記憶は松本儀子が髙橋綾人に敬意を表して返事するのを聞いて、胸の中の小さな残念さが、瞬時に小さな甘さに変わった。
「それから、会計は既に指示してある。私の名義で」
「承知しました、高橋社長」
指示を終えた髙橋綾人は、松本儀子の言葉に応じることなく、視線を再び森川記憶の顔に戻した。「食べたいものを何でも注文して」
森川記憶は自分が何に喜んでいるのかわからなかったが、髙橋綾人に頷いた時、思わず口角が上がっていた。
「家に帰ったら、電話をくれるように」髙橋綾人はさらに言い添えた。
「わかりました」森川記憶は髙橋綾人の言葉に答えた後、彼が開けてくれた車のドアを指さした。「じゃあ、先に車に乗ります」
髙橋綾人は軽く「うん」と言い、森川記憶が車に乗り込んだ後、運転席に座っている松本儀子に再び声をかけた。「ゆっくり運転して」
「はい、高橋社長」
髙橋綾人は松本儀子の返事を聞いて、森川記憶に「さようなら」と言い、彼女のためにドアを閉めた。
松本儀子は下ろされた窓越しに外にいる人に「高橋社長、さようなら」と言ってから、アクセルを踏んだ。
車はゆっくりと走り出し、森川記憶はバックミラーを通して、髙橋綾人と田中白が自分から遠ざかっていくのを見た。森川記憶は突然、自分が少し名残惜しい気持ちになっていることに気づいた。
髙橋綾人と田中白の姿はすぐにバックミラーから完全に消えたが、森川記憶の視線はまだバックミラーに留まったままだった。
車が空港を出て、市内に戻る高速道路に乗ると、森川記憶はまた突然、髙橋綾人と別れてから5分も経っていないのに、彼が恋しくなっていることに気づいた……
なんてこと!人を好きになるというのは、本当に命取りだ!
彼女は髙橋綾人とずっと一緒にいたいと思い、短い別れでさえも耐えられないなんて……
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森川記憶が乗った車が空港の駐車場の角を完全に曲がって見えなくなると、朝に名古屋のホテルで森川記憶が現れたことで怒りを抑えていた髙橋綾人の周りの雰囲気は、瞬時に氷点に戻った。「車のキーは?」