ヴァルモラ東部の空は、夕方になるといつも銀色に輝いていた。ケアラル山脈から反射するエセリオンの光が、地平線に偽りの虹を描き出す。ダニエルが暮らすエルウィン村は、まるで戦争に触れられていない世界の最後の平和を描いた絵のようだった。
父はよく言っていた。「もし地上に天国があるとしたら、きっと神はここに落とし、回収し忘れたんだろう」と。
だがその日、空は銀色には輝かなかった。昼から濃い雲が立ち込め、夜が落ちたとき…闇以上の何かを運んできた。
ダニエルは、いつもより遅れて畑から戻っていた。額の汗が土と生の小麦の香りにまみれ、頬を伝っていた。小さな収穫袋を肩にかけ、疲れた微笑を浮かべる。「母さん、きっと喜ぶよ」と呟いた。
遠くに村が見える。丘の斜面に建つ家々は、淡いランタンの光に包まれていた。だが、村のメイン通りに入った瞬間、ダニエルは異変に気づいた。
――静かすぎる。
普段なら、子どもたちの遊ぶ声や、窓の向こうから母親たちの談笑が聞こえるはずだ。だが今は、風の音と自分の足音だけが石畳に響いている。胸騒ぎがし、歩みを早めた。
ゲラン爺さんの古い家の前を通りかかった時、ダニエルは立ち止まった。扉が開いている。室内のランプは点滅し、漂ってくる匂いは…焼けた鉄のような――血の匂い。
「ゲランさん?」おずおずと呼びかける。
返事はない。しかし、家の中で壺が落ちる音がした。ダニエルはゆっくりと後ずさりした。心臓が激しく鼓動を打つ。
そのとき、叫び声が聞こえた。自分の家の方から。
「母さん!」
収穫袋が肩から滑り落ちる。ダニエルは走った。狭い道を駆け下り、崩れかけた木製の柵を飛び越える。隣家のひとつから火の手が上がっていた。次の家からも。
「嘘だ…そんな…」
彼は家の前に辿り着いた。玄関の扉が開け放たれている。焦げた肉の臭いが鼻を突いた。吐き気をこらえながら、彼は中に入った。
床一面に広がる血。父の遺体がうつ伏せに倒れている。鈍器で頭部を砕かれていた。ダニエルの目が見開かれ、声にならない叫びが喉を詰まらせる。
「母さん! レア!!」 妹の名を叫びながら部屋を探す。
泣き声が奥の部屋から聞こえた。ダニエルは扉を開けた。
そこにいたのは二人の仮面の男。ひとりがまだ七歳の妹を押さえつけ、もうひとりは真っ赤な短剣を手にしていた。鉄ではない、血で赤く染まった刃だった。
目が合う。時が止まったように感じられた。
「お前がダニエルか?」低く、人間とは思えない声で一人が言った。
ダニエルは震えながら言った。「妹を…放せ…」
仮面の男は短く笑った。「残念だが、命令は明確だ。生き残りは許されない。特にお前はな」
刃が振るわれる。
ダニエルは飛びかかったが遅かった。妹の胸を切り裂いた刃。レアは壊れた人形のように床に倒れ、血が床を染めていった。
ダニエルの叫びは獣の咆哮へと変わった。彼は仮面の男に飛びかかり、殴り、引っ掻いた。だが男は大きく、力強かった。一度の突き飛ばしで、ダニエルは壁に叩きつけられ、頭を打つ。視界が歪んだ。
「くだらん。これが“種”だと?」と殺し屋が吐き捨てる。
もう一人が斧を構えた。「さっさと終わらせろ」
だが、その時だった。ダニエルの体が痙攣し、胸の奥から熱が噴き出した。それは体中を駆け巡り、血が内側から煮え立つようだった。目が見開かれ、黒い眼球に紫の光が滲む。
空気が重くなった。床の影が伸び、生きているかのように動く。斧が振り下ろされることはなかった。
ダニエルの影が動いた。手のように伸び、殺し屋を床に引きずり込む。男は叫んだが、その声は闇に呑まれた。肉体は溶け、数秒で枯葉のように崩れ去った。
もう一人の男が恐怖に後ずさり、呪文を唱える。しかし、影はそれを無視した。再び伸び、光を喰らう。ダニエルはゆっくりと立ち上がり、その顔に感情はなかった。
「くそ…こいつは…目覚めてしまったのか…」
仮面の男は逃げ出した。だがダニエルは追わなかった。
意識が戻ったとき、彼は崩れ落ちた。影は消え、レアの体は冷たくなり始めていた。
ダニエルは妹の亡骸を抱きしめ、沈黙の中で泣き叫んだ。
夜が明け、冷たい霧と焚かれた家々の煙がゆっくりと退いていった。エルウィン村は瓦礫と化していた。いくつかの家からはまだ煙が上がり、死体は埋葬されることもなく横たわっている。
ダニエルは裏庭の畑にひとり立ち尽くしていた。素手で土を掘る。その傍らには、布で巻かれた母と父、そしてレアの亡骸。
手は血まみれで、爪も割れていた。それでも彼は掘り続けた。
「もし俺が彼らを守れるだけの強さを持っていなかったなら…俺は、世界を飲み込めるほどの強さを得てやる」
手が止まり、彼は空を見上げた。太陽は彼を照らしていたが、その体は冷たいままだった。
その日、ダニエルは村を後にした――一度も振り返ることなく。
そして、影が…彼の背を追った。