三日目、第三回戦が始まった。
第三回戦は三日間にわたる実戦連続手術チャレンジで、世界各地から集められた様々な難病、不治の病、重症患者に手術を行い、手術の成功率が最も高いチームが勝利する。
これらの重病を患う患者の中には、家庭が貧しく、高額な治療費を払えない人々もいた。
また、裕福な家庭でありながら、良い医師が見つからず、ここで腕の立つ医師に自分の病気を治してもらおうとする人々もいた。
結局のところ、ここで競争に参加する医師たちは、医師の中でもエリート中のエリートだ。
さらに、患者が手術台の上で、あるいは術後三日以内に亡くなった場合、そのチームは競争から脱落するという規定があった。
これにより、世界中の非常に多くの重病患者の家族が安心して参加申し込みをすることができた。
たとえ本当に手術台の上で命を落としても、彼らは諦めていた。
世界最高の医師たちでさえ治せない病気を、重い病気を抱えた普通の人間である彼らが、諦める以外に何ができるというのだろうか?
患者の治療に最も成功したチームが第三回戦の勝者となり、そのチームの中で最後の一回の内部競争筆記試験を行い、試験で最高得点を取った人が最終的なチャンピオンとなる。
集められた患者はすべて重症患者だが、病気が異なれば手術に必要な時間も異なる。
橋本燃は自分が運の悪い医師の一人だと感じていた。彼女が自ら引いたくじの患者は、78歳の脳腫瘍中期から末期の患者だった。
無菌病衣を着たおじいさんがボランティアの助けを借りて歩いてきた。
おじいさんの肌は黒っぽく黄色がかっており、体は痩せていたが、頭は浮腫みのために大きく腫れ上がり、痩せた体とは対照的で、見る人の心を驚かせるほどだった。
おじいさんは入ってくるなり床にひざまずき、体は止めどなく震えていた。
「先生、私は手術を受けたくないんです。孫が無理やり申し込んで、手術を受けさせようとしているんです。先生方、どうか私をあと数年生かしてください。
私は農業で生計を立てている農民です。息子と嫁は交通事故で亡くなり、孫も事故で片腕を失いました。孫の嫁も両足が不自由なんです。
彼女は今妊娠していて、将来子育ても大変でしょう。もし私が彼らを数年助けなければ、彼らの将来の生活は想像もできません。だから私は死ねないんです。どうか私の病気を治してください。」