呼吸音すら聞こえなかった。
静寂が広がっていた。
江口燃は箸を置き、心臓が大きな手で握りしめられたような感覚に襲われた。もう一度声を上げた。「お母さん?」
しかし、向こう側からは依然として何の音も聞こえなかった。
燃の聴力は橘重郎には及ばないものの、一般人をはるかに超えていた。
わずかな物音も彼の耳から逃れることはできないはずだ。
それに、この電話は江口絵屏の性格にも合わない。
絵屏が彼に電話をかけるなら、何も言わないということはあり得ない。
何かが起きた。
この三文字が燃の頭に浮かんだ瞬間、彼の呼吸は荒くなった。
燃は心を落ち着かせ、三度目の声掛けをした。何も知らないふりをして言った。「お母さん、話してよ。どうしていつも息子を驚かせるの?」
「何でもないわ。」
とても静かな二言。
絵屏の声だった。
しかし燃には明らかに彼女の口調がおかしいと分かった。
「何でもなければいいよ。」燃はさらに演技を続けた。「また僕を叩くのかと思った。」
電話はそのまま切れた。
燃は素早く携帯の位置情報システムを開いた。そこには赤い点が点滅し続けていた。
赤い点は彼から800キロも離れていた。
これが絵屏の位置だった。
橘家は古武界の中でも特殊な家族で、旧来の考えに縛られていなかった。
他の古武名家は現代のハイテク技術や熱兵器を拒絶していた。
彼らは古武者がすでに十分強力であり、これらのものを使って自分を強化する必要はないと考え、厳格な規則を定めていた。
もし家族の誰かが家族のリスト以外のハイテク製品を使用しているのが発見されれば、罰を受けることになっていた。
しかし橘家はそうではなく、重郎は家族のために特別に銃を用意していた。
古武者の內勁が一定のレベルまで修練されれば、銃弾さえも防げるようになる。
しかし「完璧な計画にも一つの穴」という言葉があるように、誰も予期せぬ事態が起こらないとは言い切れない。
もう一つの保障があれば、命を救うこともある。
燃はこれ以上考えることなく、上着を掴んでアパートを飛び出した。
万が一を恐れるべきだ。
絵屏は古武を修練することができず、重郎はそのことをとても心配していた。彼にできることは、彼女に最高の武器と護衛を与えることだけだった。