「ふふ、そうしましょう。書類はできるだけ早く準備してください」斎藤遥はそれ以上何も言わなかった。
彼と彼女の間で、主導権は決して彼の手の中にはなかった。
「はい、では先に失礼します。明日、全ての書類を準備し終えたら、また持ってまいります」田中弁護士は書類をファイルに入れ、ため息をつきながら出て行った。
田中弁護士が去った後、遥はコーヒーを手に持ち、大きなビーズクッションに身を沈めた。佐藤若菜が去ってから、彼はいつも休憩時間になるとコーヒーを一杯持って、そこに身を沈めるようになっていた。
そこで彼女のことを考えると、とても温かい気持ちになれた。
誰かが遥に会いに来たが、鈴木瑛子に追い返された。田中弁護士が帰った後、彼女が会議テーブルを片付けに入った時、遥がビーズクッションに身を沈めているのを見たからだ。このような時、瑛子は誰にも彼の邪魔をさせなかった。
この時の彼は、まるで無力な子供のように、窓の外を見つめる眼差しには諦めと悲しみが満ちていた。仕事中の鋭さとも、世間が知る高貴さや奔放さとも違う、純粋に普通の男性としての静けさと思いが宿っていた。
このような彼を、誰も邪魔する気にはなれないだろう。
このような彼を見ていると、普段は憂いを知らない彼女でさえ、思わず胸が痛み、心が動かされるのを感じた。
このような彼に、彼女は思わず近づきたい、慰めたいと思った!
しかし、賢明な彼女は、自分の分をわきまえていた。
なぜなら彼女は知っていた。このような男性は、あまりにも優れすぎていて、あまりにも輝きすぎていて、彼女が手に入れられるものではないことを。
なぜなら彼女は知っていた。彼の心はすでに別の女性でいっぱいだということを!誰も、もう入り込む余地はない。たとえほんの小さな隅っこであっても。
だから、彼女は自分の心を慎重に守り、尊敬の念が恋愛感情に変わらないようにしていた。
冬の空は、特別早く暗くなる。まだ5時半だというのに、外はすでに真っ暗だった。
瑛子は静かに遥のオフィスのドアを開けた。彼はすでにデスクに戻り、電話を聞きながらパソコンで書類を処理していた。強気で冷静な企業家の姿だった。
先ほどビーズクッションに座っていた純粋で脆い姿は、まるで幻のように、あっという間に消え去っていた。