誰もあの弾丸のように飛んだ小石を見ていなかった。佐藤国松自身も気づかなかったが、彼の脛が動かなくなり、痛みで死にそうになった。数人の親切な村人が彼を生産大隊の医務室に運んだが、医療員は彼を治療できず、安部鳳英が駆けつけ、トラクターで公社の診療所に送るしかなかった。しかし公社の診療所の「はだしの医者」は設備が限られていると言い、この状態は治療できないので莞都病院でレントゲンを撮るよう勧めた。国松はトラクターで揺られ、何度も移動させられて痛みで気を失い、ようやく莞市に着いてレントゲンを撮ると、粉砕骨折だったのだ!
鳳英は医者に叱られた。患者を右往左往させて症状を悪化させたと言われたのだ。
治療費に大金がかかり、鳳英は真理子を憎んで仕方がなかった。実家の弟に病院で国松の世話をさせ、自分は三日に一度は青年寮の部屋に行っては騒ぎ立て、賠償金を要求した。おじいさんとおばあさんと真理子は扉を閉ざして彼女を無視した。村中の人々は、国松が転んだのは完全に自業自得で、真理子とは何の関係もないことを知っていた!
薬草の見分け方を学び始め、中草薬の知識に興味を持ち始めた承福は毎日青年寮の部屋に来ていたが、口から汚物を吐き出すようなうるさい鳳英に我慢できなかった。ある日、とうとう我慢の限界に達し、無表情で手に薪割り鎌を握って外に出た。村では承福が少し精神的におかしくなったという噂が広まっており、鳳英も精神病の人が人を殺しても責任を問われないことを知っていたので、二度ほど脅されると、他の用事もあったため、もう来なくなった。
年末に生産隊から穀物とお金が分配され、多かろうが少なかろうが、各家庭は皆喜んだ。少なくとも、正月には香り高い純白米の飯が食べられ、子供たちにちまきを包んだり、餅を作ったりでき、大晦日と元日には肉も食べられる!最も重要なのは、爆竹を買って子供たちに遊ばせることができ、その喜びと祝祭の雰囲気は、一年中家族全員が待ち望んでいるものだった!
冬休みになり、真理子は忙しかった。友達と山に薪を切りに行ったり、草を刈ったり、おじいさんと承福について山林で薬草を探したり、おばあさんの家事を手伝ったり、市場に行って正月の準備をしたりする他に、宝珠の異空間の世話もしなければならなかった。