真理子が東京の大学に入学してから約二ヶ月後、ある土曜日の午後、田原家に帰ると、おじいさんとおばあさんが彼女に教えてくれた。昨晩、田原青雲から電話があり、佐藤宝樹の行方不明だった息子の佐藤大志が見つかったという!
その子は確かに真理子が以前推測したように、不良グループに捕まり、スリの訓練を受けさせられていた。しかし彼はとても賢く、初めて外に出されて犯行を行う時に、わざと私服警官に捕まった。警察に連れて行かれて尋問されると、彼の状況が上層部から緊急に捜索するよう指示されていた子供の特徴と一致していることがわかり、報告が上がった。莞市の方から人が派遣され、佐藤おじいさんと宝樹を連れて行き、父子の再会を果たした。今は既に公道村に戻っているという。
また、宝樹は家族全員の戸籍をH県からG県の両親の元に移し、秋の収穫が終わったら、村から彼らの家族に農地が分配されるという。
真理子もとても嬉しかった。子供が見つかり、家族が再会できれば、他のことはすべて二の次だ。
おじいさんの薬草はもう一部収穫されているはずだ。小さな丘の栽培園には一年生の草本薬材が四、五十畝ほど植えられ、二十畝には二年、三年、五年物の薬材が植えられている。さらに二、三十畝にはもっと長い年数のものや、元々生えていた雑木林や果樹がある。薬材は年数が長いほど貴重だが、心を込めて世話をする必要がある。おじいさんひとりでは確実に手が回らない。佐藤承福は医療の道に進む志があり、将来は医学院でさらに勉強する予定だから、長くは手伝えない。今、宝樹がおじいさんと一緒に薬材栽培園の世話をするのは、これ以上ないほど良いことだった。
入学して二ヶ月、真理子は医科大学にすっかり慣れた。最初は中医だけを専攻してサボろうと思っていたが、田原おじいさんは「この道を行くなら、なぜ中西医を融合させないのか?学びに終わりはない。まだ若いのだから、キャンパスでもっと長く過ごしても良い。望むなら、海外留学して視野を広げることもできる」と言った。真理子はおじいさんの言葉に従い、両方を学ぶことにした。彼女は今や練気中期に達し、精力が充実し、理解力も高いので、この程度の学習量なら楽々こなせる。