第610章

栗原愛南の叫び声とともに、ソファーで居眠りをしていた家庭医が急に体を起こし、慌てて振り向いた。

栗原叔父さんの寝室のドアが開き、徹夜で付き添っていた栗原井池と栗原刚弘が飛び込んできた。

その物音を聞いたのか、栗原叔父さんたちや栗原家の他の兄弟たちも、次々とやってきた。

これは彼らが交代で休んでいたとはいえ、実は深く眠れず、ずっとこちらの様子を気にかけていたことを示していた。

しかし栗原愛南はそれらに気付かず、彼女の注意は全て栗原叔父さんが床に吐いた黒い血に向けられていた!

栗原愛南の顔は紙のように真っ白になった。

彼女は栗原叔父さんを見つめた。そこに横たわる父は生気を失ったように見え、彼女の足はガクガクと震えていた……

まさか、あの解毒薬も間違いだったの……

狐は彼女の想像以上に深く立ち回っていた?

いいえ、父は死んではいけない……

栗原愛南は家庭医の腕を掴み、叫んだ。「父を助けて、絶対に助けてください!」

森川北翔が彼女の肩を支えた。「愛南、まずは医者に診せよう。」

栗原愛南はようやく医者の手を離した。この瞬間、理性が消え去りそうだった。彼女はベッドの上の栗原叔父さんを見つめ、全身の力が抜けていくような感覚に襲われた……

以前、病院で家族たちが足の力が抜け、地面に座り込む姿を見たとき、理解できなかった。でも今この瞬間、彼女は分かった。栗原叔父さんに死んでほしくないのだと。

この父親は途中から知り合った存在だったが、いつの間にか、彼女の心の中で大切な存在になっていた……

彼女は栗原叔父さんを見つめながら、二人が初めて出会った場面を思い出していた……

あれはレストランでのことだった。彼が彼女のテーブルに近づき、相席していいかと尋ねてきた……二人は母親の話で盛り上がった。

彼女は南條静佳との再会の喜びを誰にも話せずにいた。その時、まるで少女のように、栗原叔父さんに自分の気持ちを打ち明けた。

栗原愛南の呼吸は次第に荒くなり、両手は冷や汗で濡れていた。そのとき、温かく力強い大きな手が彼女の肩を握った。

振り向くと、森川北翔が彼女を見つめていた。「愛南、慌てないで。まだ医者の診断は出ていない。自分を追い詰めないで。」

彼の声には人の心を落ち着かせる力があった。

栗原愛南は頷き、深く息を吸って心の動揺を抑え、家庭医を見つめた。