墨野宙はもう話さず、前方に視線を戻した。一方、天野奈々は彼の右耳たぶに目を向けた。黒いダイヤモンドのような黒子が、まるで生まれつきのイヤリングのように、彼に邪悪で危険な雰囲気を添えていた。
「そんなに見つめるということは、キスを求めているのか?抱きしめてほしいのか?それとも…」
天野奈々は緊張を抑えながら、自ら手を伸ばして墨野宙の腕に絡みつき、彼の熱い視線を避けた。「新居に行く前に、別の場所に連れて行ってもらえませんか?」
「そうしたら、今夜は昨夜の未完の事を続けられるのかな?ん?」
墨野宙は軽薄に尋ねた。天野奈々は隠しきれない緊張を感じていた。昨夜のような勇気を出せるかどうか分からなかったからだ。墨野宙は強制せず、何も言わなかった。ただ彼女が腕にしがみつくのを許し、夜の闇の中で口角をかすかに上げた。
二人は墨野宙の家には戻らず、天野奈々の要望に応じて、東京の有名な桜並木に向かった。そこは彼女と冬島翼がよくデートしていた場所だった。しかし今日、彼女は冬島翼を心から完全に取り除こうとしていた。そのため、最後に電話に出て、低い声で言った。「桜並木にいるわ。私たちがいつも待ち合わせしていた場所。もし私に会いたいなら、いつもの場所で…必ず来て。」
「わかった、すぐに行くよ。」冬島翼はすぐに同意した。雨野柔子と絡んでいたとはいえ、天野奈々を手放すつもりは全くなかった。天野奈々より簡単に騙せる女性をどこで見つけられるだろうか?ずっと彼に尽くし、家柄もあり、性格も良い。
天野奈々は電話を切り、向かいに座る墨野宙を見上げ、誠実だが詰まった声で言った。「これが最後よ。私情で彼に電話するのは。これからは…二度とないわ。」
墨野宙は眉を上げたが何も言わず、ただ隣の席を軽くたたき、天野奈々に近づくよう促した。所有欲を示すかのように。
天野奈々は言われた通りに寄り添い、二人で一緒にレストランの透明なガラス越しに下を見た。しばらくすると、慌ただしい影が桜並木の下に現れた。
冬島翼が来た!