第431章 これ以上に甘い言葉はない

天野奈々がハイアットレジデンスに戻ったのは、深夜11時半だった。

墨野宙を起こさないように、奈々は静かに寝室のドアを開け、裸足でベッドの側まで歩いていった。

かすかな月明かりの中、奈々は眠る墨野宙の手元に書類が置かれているのを見つけた……

彼女は心配そうに書類を片付け、赤いバラをベッドサイドテーブルに置いた。

墨野宙は全く目を覚まさなかった。翌朝、奈々を迎えに行く約束をしていたため、一日中妻と過ごせるように仕事を片付けていたのだが、奈々が最後の15分で家に、彼の元に戻ってくるとは思ってもみなかった。

誰かに見つめられている気配を感じたのか、墨野宙は警戒して目を開けた。奈々を見て一瞬驚き、体を起こして「どうして帰ってきたの？」と尋ねた。

「一番に33歳の誕生日おめでとうを言いたかったの」奈々は赤いバラに視線を向け、墨野宙も彼女の視線を追った。花を見て、思わず微笑んだ。

「墨野夫人、女性が男性に花を贈るなんて見たことないよ」

「じゃあ、私が第一号ね」奈々は笑ったが、眉間には疲れが隠せなかった。20時間以上連続で撮影をし、この一日を休暇として墨野宙と過ごすために頑張ったのだ。

墨野宙は心配そうに彼女の頬を優しく撫で、自分の胸に引き寄せた。この世界で、彼のために疲れ果てながらも12時前に間に合わせようと必死になる人は、もう二度と現れないだろう。この世界で、彼のことを何よりも大切に思い、全身全霊を捧げる人は、もう二度と現れないだろう。この世界で、天野奈々のような人は、もう二度と現れないだろう……

「まだ食事もしてないし、お風呂も入ってないの」奈々は胸に顔を埋めたまま言った。

「疲れているだろう？」

「うん、車酔いもして、胃が気持ち悪い」奈々は甘えるように答えた。

「お風呂に入って、その間に何か作るよ」墨野宙はベッドから降りようとしたが、奈々は彼の体を押さえ、首を振った。

「あなたを見たら…全部良くなった」

これ以上甘い言葉はないだろう……

墨野宙は思った。奈々のこのような献身的な愛情があれば、これまでの32回の誕生日は全て無駄だったように感じる。最初から奈々と一緒だったら、どんなに素晴らしかっただろう？

「じゃあ、一緒にお風呂に入って、それから食事をしよう？」