第608話 悪役

椛木千鶴はその場に立ち尽くし、もはや墨野宙と対抗することはなかった。

なぜなら、この時点で何を言っても、墨野宙と天野奈々の彼女に対する憎しみを深めるだけだと分かっていたからだ。

そのため、墨野宙と深い視線を交わした後、椛木千鶴は負けを認め、怒りを抑えながら直接自分の部屋へ戻っていった。

「母さんのことで、本当に疑問に思うことがたくさんあるの」天野奈々は少し体を傾け、墨野宙に尋ねた。「理屈から言えば、母さんは北川家の人なのに、どうして北川姓を名乗っていないの？それに、どうしてこんなに女優を嫌うの？」

「もし女優が嫌いなら、北川東吾や、おじいちゃん、それに海輝全体のことを、どうやって許容しているの？」

天野奈々の質問に対し、墨野宙は頭を下げ、彼女の手の甲を優しく撫でながら言った。「これらの疑問については、以前から君に話そうと思っていたんだ。でも、いくつかのことは私自身もまだ理解できていない。もう少し時間をくれないか。」

天野奈々は墨野宙の言葉の意味が完全には理解できなかったが、長年の夫婦生活で彼のことをよく知っていたので、うなずいた。「信じているわ。」

墨野宙は天野奈々の肩を抱き寄せて優しく撫でながら、椛木千鶴が去った方向を見つめ、測り知れない眼差しを向けていた。

「それに、彼女があのことをしなくても、私の携帯のメッセージを消さなくても、私はオーディションに行くとは限らなかったわ。」

「そして、もっと不思議なのは、どうやって私の携帯のパスワードを知ったのかしら？」

「何か食べたい？作ってあげるよ。」墨野宙は適切に話題を変え、天野奈々の肩を支えながら座らせた。「この件は私に任せて。明日、陸野徹に来てもらうから、君は何も心配しなくていい。これからは...誰も君を侮辱することはできない。」

「それと、やっと一度、天野剛を可愛がってきて無駄じゃなかったと感じたよ。」

……

フランスの監督のシーズンドラマについては、天野奈々と墨野宙が脚本を読んだ後、人気のために同じような役を演じる必要はないと意見が一致した。結局、『消えた親族』でも彼女は控えめな用心棒を演じており、天野奈々にとって挑戦的ではなく、当然魅力的でもなかった。

さらに、お腹の赤ちゃんがもうすぐ7ヶ月になるため、天野奈々はリスクを冒す必要はないと感じた。