濃い煙が立ち込め、床も見えなかった。
皆が外へ逃げ出していた。
山本正博が火を恐れなければ、きっと逃げ出せたはずだ。でも彼には火に対する生来の恐怖があり、一度火事になると、逃げ出すのは難しかった。
池村琴子は近くのテーブルクロスを掴むと、水槽に浸して体に巻き付け、階段を駆け上がった。
…
見慣れた濃煙の匂いを嗅ぎて、山本正博はドアの前で立ち尽くしたままだった。
彼の足は床に釘付けになったかのように、ぼんやりと大きな影が駆け込んでくるのを見た。
その人は焦りながら彼の頭を引き張れた。
「正博、正博…」
その人は彼を引っ張れて外へ向かった。
山本正博は目を閉じ、かすれた声で名前を呼んだ。
琴子は体が震えた。
彼女の予想通り、山本正博は火を見ると動けなくなる、これが彼の持病だった。
彼は何をしていても、火を見たり、濃煙を感じたりすると、すぐに意識を失い、まるで別世界に入ってしまうのだ。
琴子はこの持病を知ったのは偶然だった。初めて彼が車で琴子を山本邸に連れて行ってくれた時、道中である車が炎上し、運転していた山本正博はその場で固まり、ブレーキを踏むことでさえも忘れてしまった。
もし彼女がハンドルを掴んで脇の草むらに突っ込まなければ、二人とも命を落としていたかもしれない。
あの日以来、山本正博は台所に入らず、火に関するものを意図的に避けるようになった。
琴子は気になりつつも、一度も聞かなかった。山本正博に嫌われるのが怖かったから。
でも彼女は山本正博が火を怖がることは、ずっと覚えていた。
今の山本正博は目を閉じて、全身が痙攣していた。
濃煙の中、煙が目にしみて、彼女の目からは涙が溢れ出た。
池村琴子は歯を食いしばり、彼の体を引き張れて外へ向かった。
一歩…
また一歩…
部屋から階段まで、彼女は全ての力を振り絞った。
「正博、しっかりして!ゴホゴホ…」