第631章 神医は来ていないのか？

「伊藤様……」

中村お父さんが伊藤様と弓永院長に挨拶をしようとしたが、二人は彼らの横を素通りし、まったく目も合わせなかった。

彼は一瞬戸惑い、顔色が一気に曇った。

中村お母さんに至っては、怒り心頭だった。

二人が目の前に立っているのに、伊藤様と弓永院長は見向きもしない。これは明らかに意図的だ！

「伊藤様、伊藤様……」皆が去っていくのを見て、中村お父さんは慌てて追いかけた。

伊藤様と弓永院長は声を聞いて足を止め、振り返ると中村お父さんが追いかけてくるのが見えた。

中村お父さんは弓永院長と伊藤様に追いつくと、急いで口を開いた。「伊藤様、弓永院長、以前約束していた通り、今日は妻の診察を……」

「申し訳ありません、中村さん。今日は急用があって、奥様の診察はできません。改めて日程を調整させていただきましょう」

弓永院長は中村お父さんと中村お母さんを一瞥すると、伊藤様と共に急いで立ち去った。

「一体どういうつもりなの？」

中村お母さんは怒りで頭がクラクラし、立っているのもやっとだった。

中村お父さんも心中穏やかではなかったが、何も言えなかった。「本当に急用があったんでしょう。また今度来ましょう」

「いつまで待てばいいの？」

中村お母さんは拳を握りしめた。「私はもう一日一日が命取りなのよ。これ以上待てないわ。このまま母子共々死ねっていうの？」

「私の状態はあなたもよく分かっているでしょう。一日だって待てないのよ」

彼女は完全にヒステリックになり、狂った女のように見えた。

中村お父さんは彼女を引き寄せ、急いで宥めた。「落ち着いて、胎動を刺激しないで。明日もう一度来よう。たった一日だけ待って。明日は何が何でも伊藤様に診てもらうから！」

彼は中村お母さんを宥め続け、彼女の感情は少し落ち着いたものの、まだ不安そうだった。「でも、明日もまた忙しいって言われたらどうするの？」

これが彼女の最後の望みだった。

死にたくない！

中村お父さんは中村お母さんの肩に手を置き、諭すように言った。「後で弓永院長に電話して、伊藤様の連絡先を聞いてみよう。もしかしたら、伊藤様は診察料の件で気が変わったのかもしれない」

中村お母さんはその言葉に一理あると感じた。諺にもあるように、金の力は大きい。鈴木月瑠だってお金が好きなはずだ。