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1985年4月1日 大雨 北京
今日は私の三歳の誕生日。お父さんがノートをくれて、「君子は日に三度己を省みるが、我々のような小人物は一日一度の反省で十分だ」と言った。だから今日から日記をつけて、その日の過ちを記録するように言われた。君子が何なのかは分からないけど、小人物の意味は分かる。お父さんは豚の角煮が好きだけど、買えないし、買っても食べる気になれない。今日みたいに、いつも私が食べるのを見ているだけ。実は私、お肉は好きじゃないけど、好きなふりをしなきゃいけない。理由はよく分からない。私はまだ小さくて、物事が分からない子供だから。
お父さん、私はお父さんのお腹から生まれたの?どうして他の子には母さんがいるの?
1987年6月1日 晴れ 天津
お父さん、今日もまた私のことを誰も要らない野良の子、私生児だと言われた。幼稚園に行きたくない。幼稚園の子供たちはみんなバカみたい。トイレも先生に手伝ってもらわないとできないし、アラビア数字を1から100まで数えられる子もほとんどいない。私は英語とフランス語で100まで数えられるのに。あの花マークも何の意味があるのか分からない。お父さんが言うように、物には価値か価格のどちらかがあるはずで、どちらもないものは無駄なもの。私はあの花マークはそういうものだと思う。
でも、お父さん、母さんのいない私も、あの花マークと同じように無駄なものなの?
1988年2月25日 大雪 蘇州
朝5時に起きて、お父さんとジョギング。6時半に朝食。古筝を2時間、ピアノを2時間練習。11時半に昼食。習字を1時間。それからお父さんが「張弛は文武の道なり」という意味の分からない言葉を言って、雪だるまを作りに連れて行ってくれた。私が大小二つの雪だるまを作るのを見ていたお父さんが、なぜ二つだけなのかと頭を撫でながら聞いてきた。私の世界にはお父さん一人いれば十分で、母さんみたいな第三者は必要ないと答えたら、お父さんは泣き出した。なぜだか分からない。私が何か間違ったことをしたのかな?お父さんがあんなに悲しそうに泣くのを初めて見た。男泣きは恥ずかしいものだと知っているけど、泣いても男らしい人もいると思う。お父さんはそういう人だから、涙を拭いてあげて、泣かないでと言った。