「いいよ、私は犬儒だ、存在するものは合理的だと推奨する。君たちは好きなだけ批判すればいい。私は批判と自己批判を展開するのが大好きだ。これは私の家と軍隊の優れた伝統だからね」吳煌は怒るどころか、むしろ爽やかに大笑いした。徐北禪と談心も苦笑するしかなかった。これが恐らく吳煌の人望が良い最大の理由だろう。決して自分を高めて他人を貶めることはなく、彼は他人を持ち上げながらも心穏やかに対等に会話できる習慣がある。趙鯤鵬やもっと若い世代の道楽息子たちの目には、まさに理解不能な異質な存在に映るのだ。
同級生たちは互いに交流し、最終的には暗黙の了解で幾つかのグループに分かれた。関連する職業分野で区分されるグループもあり、例えば董超がいるグループはほとんどが金融業界の資本操作の達人たちで、ほぼ全員が大金持ちだった。彼らはお金や女性、投資協力について話し合い、とても楽しそうだった。また、興味や志向によって分かれるグループもあった。出家した牛人(優れた人物)は卒業後に教育者となった同級生たちと道を論じ、最近結婚して子供を産んだ女性たちはグチをこぼしていた。徐北禪が避けていた二人の元カノは、時折人を殺せそうな魅惑的な視線を彼に投げかけていたが、少なくともその場で騒ぎ立てることはなかった。結局のところ、彼女たちは家庭を持つ大人の女性だ。せいぜい夜に香樟青萍大ホテルのベッドで、昔と変わらぬ弾力のある美脚で徐北禪という混蛋を挟み殺したいと思うくらいで、このような場所で騒いだり誘惑したりすることはないだろう。
どういうわけか、話題が一斉に基金業界に移った。これには董超というホスト役の煽りもあったかもしれないが、より大きな理由は何度も繰り返された大きな強気相場と弱気相場の変動による資本の動きだろう。その場にいるほぼ全員が関わっており、誰も無関係ではいられなかった。清涼地で静かに修行している仏教の弟子でさえ、出家後も本当に株式市場の浮き沈みから手を引いたわけではなく、時々我慢できずにノートパソコンを開いて覗き見ることがあった。結局のところ、出家前に不注意で180万元もの大金をそこに投じてしまったのだから。