理論的には大したことではなく、沖積平野地帯として、古墳や古建築の密度は中原地方に比べてはるかに低いものの、工事作業中に時折、古代の小地主の墓や祭廟などが発掘されることがあった。
しかし、特殊な時代背景の下で、考古学的な発掘保護も工事を避けざるを得ず、工事ルート上にあるものは全て掘り出されて取り壊された。
もちろん、小地主では格が足りず、関係部門の注目を集めるには、少なくとも小貴族クラスでなければならなかった。
ただし、西安や洛陽のような場所では、工事中に小貴族の遺跡に遭遇しても、珍しくないため、優先順位は低かった。
しかし、今回発掘された廟は少し異常で、廟の中には女菩薩が祀られており、その女菩薩は鎖で縛られ、鎖の他端は小廟の各隅に打ち付けられていたという噂が広まった。
住民たちはその様子が不気味で、近づいて処理することを恐れた。
結局、海河大学の学生二人がハンマーで鎖を打ち砕き、菩薩像を倒した。
これによって工事を続行することができた。
夕暮れ時には、基本的に各作業班は今日の任務をすでに超過達成しており、皆経験を積んでいたため、早めに検収を終えれば早く帰れ、その間に今夜の寝場所も早めに手配できた。
このとき、李家の四人兄弟の優位性が発揮された。
彼らは河工の傍らで仮小屋を建てたり、藁むしろを敷いて寝たりする必要はなく、工事現場近くの接収された民家の堤防を確保した。
堤防に囲いはなかったものの、下には平らな地面があり、傍らには井戸とトイレがあり、これだけでも十分な野営条件だった。
四人の伯父たちは、それぞれお湯を沸かし、乾パンを受け取り、寝床用の干し草を探し、李維漢は李追遠、潘、雷を連れて現場で休んでいた。
堤防の上には大きな電球が何個か取り付けられ、下の人々の照明となり、また目印にもなっており、ここは給湯所でもあり、赤脚医生もいた。
李追遠はまた薛亮亮と趙和泉に会った。彼らのグループは教師一人に大学生二十数人で、今夜もここに泊まる。
ただし彼らの条件は良く、屋内に泊まれる。
数人の伯父たちは敷かれた寝床に座り、李追遠、潘、雷に教え諭した:
「坊やたち、よく見なさい。これが勉強の利点だよ。しっかり勉強しないとな。」