また深夜。
葉平は一人で青雲後崖に座っていた。
彼の前には一枚の宣紙が置かれていた。
葉平は満天の星空を見つめながら、依然として'気を引き入れる'ことについて苦心していた。
この時、葉平は自分の資質がいかに無駄であるかを深く実感していた。
最も簡単な気を引き入れることさえできないのに、何が仙人修行だ。
実際、これは葉平のせいではない。主にネット小説を読みすぎたせいで、ほとんどの修仙小説の主人公は、たとえ落ちこぼれでも、簡単に気を引き入れることができるからだ。
天空は墨のように黒かった。
暗闇を見つめながら、葉平の脳裏に一つの詩が浮かんだ。
葉の音は雨のごとく、月の色は霜のように白し。
夜深くして独り臥す、誰が塵の床を払わん。
これは白居易の詩で、まさに今の情景にぴったりだった。
そう思いながら、葉平は傍らの筆を取り、清浄な宣紙に絵を描き始めた。
今回は、人物は描かなかった。
ただ風景を描いた。
葉平は筆を走らせ、龍が飛び鳳が舞うかのように、心の憂鬱を絵の中に込めた。
宣紙の上に、夜景の図が現れ、深遠で言い表せない感覚を与え、少し重苦しかった。
これが畫魂術だ。
葉平はすでに畫魂の境地に達し、心の全てをこの絵の中に隠した。
もしこの絵を誰かが見れば、同じように憂鬱な思いを感じるだろう。
丹青の大家の作品は、常に精氣神が凝縮されている。
喜びの時に描けば、人々に楽しさを感じさせる。
心が悩む時に描けば、心の苦悩が絵の中に表現される。
葉平は描き続けた。彼は夜を極めて深遠に描き、まるで希望が見えないかのように、心の全ての憂鬱を絵の中に込めた。
この数日間を振り返ると、毎日気を引き入れることについて苦心し、時間を無駄にしただけでなく、一ヶ月近く研究しても何の進展もない。どうして憂鬱にならないだろうか?
葉平が全ての感情を絵巻に込めているその時。
突然。
一陣の清風が、ゆっくりと吹いてきた。
清風が顔を撫でると、葉平の憂鬱と焦りの心は、この瞬間突然静まった。
瞬時に、葉平は絵を描くのを止め、顔を上げて日月山川を見つめた。
天地の間は、静寂に包まれていた。
万物が静まり返っていた。