全てが終わった後、九条結衣は湯気がまだ残るバスルームを静かに見つめていた。顔にも、心にも、喜びのかけらはなかった。
二人にとって幸せなはずの時間が、こんな形で始まるなんて、想像もしていなかった。
九条結衣は痛みでしゃがみこんでいた。藤堂澄人は冷たく彼女を一瞥すると、シャワールームに入り、適当に体を洗い流した後、バスタオルを巻いて出て行った。
しばらくして、九条結衣はようやく引き裂かれるような激痛から立ち直り、ゆっくりと立ち上がってシャワールームへ向かい、体を洗い流した。
鏡に映る自分の姿は、顔色は青白いものの、隠しきれない美しさを湛えていた。それでも、藤堂澄人の目に留まることは決してなかった。
自嘲気味に唇を歪めると、意外にも藤堂澄人がまだ部屋にいることに気が付いた。
ここは九条結衣と藤堂澄人の寝室だが、3年間、彼がここに来ることはほとんどなく、ましてや宿泊することなど皆無だった。
藤堂澄人はすでに服を着替え、ソファに座っていた。長い脚を優雅に組み、まるで全てを見下ろすかのように九条結衣を見ていた。
その視線は九条結衣にとって見慣れたものだったが、今夜はいつも以上に屈辱的に感じられた。
九条結衣はしばらく彼を見つめ、少し嗄れた声で「何か用?」と尋ねた。
藤堂澄人は彼女の目の前に立った。彼女は傷だらけで、紙のように顔色が悪かったが、落ち着き払っていた。その様子が、彼を苛立たせた。彼は冷酷な言葉を、ゆっくりと口にした。
「靖子が戻ってきた。お前には一日猶予を与える。ここから出て行け」
九条結衣の体は硬直した。虚ろだった瞳に、信じられないという色が浮かぶ。
「靖子が戻ってきたの?」
木村靖子(きむら やすこ)の名前は、九条結衣にとって決して聞き慣れないものではなかった。実際に会ったことはなくても、常に彼女の生活の中に存在していたのだ。
九条結衣は藤堂澄人の目をじっと見つめた。底知れぬその瞳は、彼女に向けられるとき、いつも氷のように冷たかった。
九条結衣は静かに藤堂澄人を見つめる。記憶の中の、優しく微笑む、太陽のように明るい少年の姿は、もはや霞んでいた。
しばらくして、九条結衣は深呼吸をし、まるで勇気を振り絞るかのように、低い声で尋ねた。「澄人、3年間、一度でも…私を好きになったことはあった?」
この言葉を口にしたとき、九条結衣は自分のプライドを全て捨て去ったことを自覚していた。
溢れそうになった涙を、必死にこらえた。
藤堂澄人の体が、一瞬硬直した。九条結衣がこんな質問をするとは思ってもいなかった。深い瞳の奥に、一瞬の戸惑いがよぎる。
しかし、その戸惑いはすぐに消え去った。
しばらく九条結衣を見つめた後、藤堂澄人は皮肉な冷笑を浮かべ、「どう思う?」とだけ言った。
九条結衣は彼の嘲笑うような目に、自分の身勝手な片想いを笑われているように感じた。
彼女も苦笑した。今の自分の質問が、なんと愚かで身の程知らずなものだったか。
もし3年間、藤堂澄人が少しでも自分を好きだったのなら、こんな風に自分を傷つけるはずがない。
藤堂澄人は彼女がなぜ急に笑ったのか分からなかった。木村靖子の名前を出したにもかかわらず、彼女の反応は意外なほど冷静だった。
妻としてあるまじき冷静さに、藤堂澄人はますます苛立ちを募らせた。
3年間、彼女はいつもこのように上品で穏やかで、気を遣う邪魔にならない妻を演じていた。
しかし、この女の心の奥底に、底知れぬほどの毒が潜んでいることを知っていたのは、彼だけだった。