九条結衣は、ぼんやりとした頭で産婦人科を後にした。無意識に、平らな下腹に手を当てる。まだ何も感じないけれど、この中に小さな命が宿っているのだ。
藤堂澄人の子供を授かることを夢見ていたが、まさか離婚届を出した後だとは思ってもみなかった。
しばらく放心状態だった彼女は、慌てて携帯電話を取り出し、ある番号に電話をかけた。
「おじいちゃん、お願いがあるの」
4年後──
A市第一総合病院。
「九条先生、3番救急処置室の患者さんの容体が急変しました。渡辺先生がお呼びです」
「わかりました」
九条結衣が救急処置室に到着すると、ベッドの上の患者を見て息を呑んだ。
「瞳?」
藤堂瞳(とうどう ひとみ)は藤堂澄人の妹で、折り合いの悪かった義理の妹だ。まさか帰国早々、こんな形で再会するとは思ってもみなかった。
九条結衣は眉をひそめたが、深く考える暇もなく、隣で心配そうにしている若い男性に尋ねた。「患者さんの容体は?」
「妻の羊水が破水して…先生、助けてください…」
緊張のあまり、男性の言葉は取り乱していた。
九条結衣は眉をひそめ、彼からは詳しい情報は得られないと判断し、救急処置室へと駆け込んだ。
男性は不安そうに救急処置室の前で待っていた。中から何の音も聞こえてこず、焦りは募るばかりだった。
少し離れた場所から、急ぎ足で誰かが近づいてくる。冷たい空気と隠しきれない緊張感を伴って、一人の男が救急処置室の前に現れた。
「瞳はどうした?」
「さっき、出かける時に急に破水して…」
藤堂澄人はそれ以上何も言わず、固く閉ざされた救急処置室のドアを睨みつけていた。
妹の状態は彼にはよく分かっていた。彼女の体は妊娠に適していない。もしものことがあったら…
そんなことを考えていると、救急処置室のドアが開いた。中から出てきた人がマスクを外すと、見覚えのある美しい顔が現れた。
しかし、その顔は彼ではなく、隣にいる義弟に向けられていた。
「藤堂瞳さんのご家族の方ですね?奥様の容体は危険な状態です。すぐに手術が必要なので、こちらにサインをお願いします…」
九条結衣は早口で指示を出しながら、研修医に「全身麻酔の準備!」と指示を出す。
「はい、九条先生」
九条結衣は頷いた。
指示を終えると、再び救急処置室へと戻って行った。藤堂澄人の方を見ることは一度もなかった。
実際、彼女は藤堂澄人の存在に気づいていなかった。だからこそ、彼の目に浮かぶ驚きと動揺を見ることはなかった。
九条結衣!
マスクの下から現れた顔を見た瞬間、藤堂澄人の心臓が大きく跳ね上がった。
4年前、何の連絡もなく姿を消した女。4年間探し続けても見つからなかった女が、こんな形で、突然戻ってきたのだ。
何の準備もさせずに、彼の世界に再び入り込んできた。
ポケットの中の手に、こみ上げてくる感情を抑えきれず、力が入る。
4年。彼女は4年もの間、姿を消していた。そして再び現れた彼女は、まるで別人だった。