「ありがとう、お父さん」
九条政に感謝の視線を送り、それから申し訳なさそうに藤堂澄人を見た。
「ごめんなさい、澄人。一緒に喜んでくれると思ったのに…」
木村靖子は唇を噛みしめ、悲しみと失望を隠そうともしなかった。
木村靖子の様子を見て、九条政はさらに自分を責めた。
「靖子、すまなかったな。辛い思いをさせて」
「ううん、大丈夫よ、お父さん。お姉さんが私を認めてくれなくても、いつかきっと好きになってもらえるように頑張るわ」
九条政の腕に抱きつきながら言った。「お父さんも、お姉さんのことを怒らないで。お母さんが悪いことをしたんだから、お姉さんが私に怒りをぶつけても仕方ないわ」
彼女の寛大な言葉の裏には、自分が被害者であることをアピールする意図が隠されていた。それは、九条政へのアピールであると同時に、藤堂澄人に見せるためのものだった。
彼と知り合ってから長い年月が経つが、彼はいつも彼女の頼みを聞き入れてくれた。しかし、その態度は常に淡々としており、冷たいというわけではないが、どこかよそよそしく、親密になることを拒んでいるようだった。彼女が何をしても、彼の心に近づくことはできなかった。
藤堂澄人の妻になる方が、九条政の娘でいるよりも、ずっと優越感に浸れる。
「九条さん、お料理をお持ちしてもよろしいでしょうか?」
ウェイターも、先ほどの緊迫した雰囲気を感じて近寄れなかったが、九条結衣が帰って行ったので、恐る恐る尋ねた。
「ああ、頼む」
九条政は少し落胆した様子で、藤堂澄人を見た。「澄人、靖子が君の好きな料理を頼んでおいたんだ。一緒にどうだ?」
九条政はそれとなく、木村靖子と藤堂澄人の仲を深めようとしていた。藤堂澄人も、その意図に気づいていた。
藤堂澄人は腕時計を見て言った。「すみません、今日は結衣を送り届けなければならないんだ。また今度」
丁寧な言葉遣いだったが、義父に対する敬意は感じられなかった。
藤堂澄人に断られた木村靖子は、落胆した様子だったが、すぐにいつものように、彼の前で明るく振る舞った。
「それなら、早くお姉さんを送ってあげて。お姉さん、機嫌が悪そうだったし、よく見ててあげてね」
藤堂澄人は木村靖子の言葉に返事をすることなく、足早にレストランを出て、駐車場へ向かう九条結衣の後を追った。
彼女の細い背中は、見ているだけで胸が締め付けられるほど、寂しそうだった。
駐車場には車は少なく、九条結衣はすぐに自分のSUVを見つけた。バッグの中に手を入れるが、その時、鍵を藤堂澄人に預けたことを思い出した。
眉をひそめ、藤堂澄人から鍵を受け取ろうとしたその時、バッグの中の携帯電話が鳴った。
藤堂澄人が近づいてきた時、九条結衣は携帯電話の画面を見て、柔らかな笑みを浮かべていた。それは、かつて藤堂澄人だけに見せていた笑顔だった。
以前、この笑顔は自分だけに向けられていたのに、今は違う。
藤堂澄人の胸に、苛立ちがこみ上げる。彼は足早に九条結衣に近づいた。
そして、彼女が優しい声で話しているのが聞こえた。「初、どうしたの?うん、すぐ帰るわ。先にご飯食べてて…」
さっきまでの攻撃的な態度はどこへやら、驚くほど優しい声だった。
初?
初って、誰だ?!