藤堂澄人は男の表情に気づかず、社長椅子から立ち上がり、机を軽く叩いて言った。「九条結衣は一生、俺の女房になるしかない。法務顧問として、お前の出番だ」
男は黙ったまま、しばらく声を出さなかった。手の中の名刺は無意識のうちにしわくちゃになっており、いつもの冷たい目の奥には、何かを必死に抑えているような様子が見えた。
「どうしたんだ?」
藤堂澄人はようやく彼の様子がおかしいことに気づき、尋ねた。
「ああ、何でもない」
男は我に返り、さりげなく名刺をポケットに入れ、藤堂澄人に言った。「この件は私に任せてください」
藤堂澄人のオフィスを出ると、男の瞳が急に暗くなり、体の横に垂らしていた手が、無意識のうちに握りしめられた。
夏川雫、本当に彼女だったのか……
第一総合病院――
「結衣」
「院長?」
九条結衣が回診を終えて出てきたところで、橋本院長に呼び止められた。
「藤堂さんの心臓移植のドナーが見つかりました。手術は明後日に予定しています。時間を見つけて、患者の家族と引き継ぎをお願いします」
そう言って、橋本院長はさらに付け加えた。「あの藤堂さんは特別な身分ですから、できるだけ我慢してください」
「はい、院長。分かりました」
九条結衣は実は藤堂瞳の手術を担当したくなかった。藤堂お婆様以外の藤堂家の人々とは関わりたくなかったからだ。
しかし、彼女は藤堂瞳の初診時の担当医で、藤堂瞳の状態を最もよく把握していた。藤堂瞳の夫である植田涼が、彼女に手術を執刀してほしいと指名したのだ。
医師としての責任から、彼女は引き受けるしかなかった。ただ、藤堂瞳が今度は何か問題を起こさないことを願うばかりだった。
退勤時間が近づいた頃、九条結衣は時間を作って藤堂瞳の病室へ向かった。
九条結衣を見た藤堂瞳の表情は即座に曇った。しかし、自分の夫と兄が居合わせていたため、九条結衣を困らせるような言葉は言えなかったものの、良い顔をするはずもなかった。
九条結衣は藤堂澄人がここにいるとは思っていなかった。入り口で足を少し止めたが、すぐに普段通りの様子で藤堂瞳の方へ歩み寄った。
「お義姉さん」
植田涼が真っ先に立ち上がり、九条結衣に挨拶をした。九条結衣の眉は本能的に寄ったが、その呼び方について注意するのは却って不自然に思えたので、植田涼の呼び方を無視することにした。