「奥様、こちらがお荷物です」
「ありがとう」
九条結衣は受け取って礼を言うと病院の建物へ向かって歩き始めた。数歩進んだところで、誰かが彼女を呼ぶ声が聞こえた。「結衣」
九条結衣が振り返ると、渡辺拓馬が不良っぽい笑みを浮かべながら近づいてきた。彼女は後ろに立っている松本裕司に目をやった。
「これから朝ご飯を食べに行くんだけど、一緒にどう?」
「私はもう食べたわ。今から当直の先生と交代するところなの。早く食べてきてね」
「そっか」
渡辺拓馬は少し落胆した様子で肩をすくめた。ちょうどそのとき藤堂澄人がやってきて、二人はばったり出くわした。
先日の晩餐会の件と、病院内での渡辺拓馬と九条結衣の関係についての噂話から、藤堂澄人は渡辺拓馬に対して非常に強い敵意を抱いていた。
渡辺拓馬を見る目は自然と深刻さを増していた。
九条結衣も藤堂澄人が来るのを見かけたが、彼を待つ様子は見せず、渡辺拓馬に挨拶を済ませると立ち去った。
渡辺拓馬は笑顔で藤堂澄人に会釈をして挨拶した。「藤堂社長、妹さんの見舞いですか」
一見何気ない挨拶だが、その中には挑発的な意味が込められていた。藤堂澄人がそれを聞き逃すはずもなく、鋭い薄い唇を少し歪めて、意図的に言った。「妻と朝食を済ませて、ついでに送ってきたんだ」
藤堂澄人のこの言葉には多くの情報が含まれていた。一つは二人で朝食を共にしたこと、おそらく昨夜も一緒に過ごしたということ。もう一つは九条結衣と藤堂澄人の関係が改善されているということだ。
渡辺拓馬はそれを聞いて、表情が少し変化したが、すぐに取り繕って笑いながら言った。「藤堂社長は木村さんにだけ気を遣うと思っていましたが、結衣にもこんなに優しいんですね」
彼が意図的に木村靖子の名前を出したのは、明らかに藤堂澄人に九条結衣との離婚の件を思い出させるためだった。
藤堂澄人の表情が曇った。二人は目を合わせ、お互いの目の中に挑戦的な敵意を見出した。
「結衣は私の妻だ。気を遣うのは当然だろう。渡辺先生とは違って、自分の女性もいないくせに、人の妻を都合よく利用するようなまねはしない」
渡辺拓馬の口元の笑みが一瞬凍りついた。藤堂澄人の深い瞳を見つめ、目を細めた。明らかに不快感を示していた。
傍らで二人の男が表面上も内面的にも対立している様子を見ていた雫は、密かに冷や汗をかいた。