092.藤堂社長は悔しいが、藤堂社長は言わない

九条結衣は思わず笑みを浮かべた。藤堂澄人がこんな不満げな目で彼女を見つめるのは初めてだった。これまでの彼女の印象にある、鉄の意志を持ち冷酷で寡黙な藤堂家当主とは全く異なる姿だった。

「藤堂社長も私に他の男がいると言いましたよね。だから当然、あなたはもういりません。私は藤堂社長のように二股をかけるような器用な真似はできませんから」

そう言って、藤堂澄人の手から自分の手を振り払った。この手が木村靖子の手を握っていたことを思うと、吐き気を催した。

「奥様」

車の中で夫婦を待っていた運転手は、九条結衣が出てくるのを見ると、すぐに車から降りて丁重に頭を下げ、後部座席のドアを開けた。しかし、九条結衣には乗車する様子が見られなかった。

「私はあなたたちの奥様ではありません。藤堂社長も元妻をそう呼ばれるのは好まないでしょう」