彼は九条結衣の目を一秒でも見つめる勇気がなかった。彼女の目に映る深い憎しみを見るのが怖かったのだ。まるで逃げるように九条結衣の家から出て行った。
藤堂澄人が去った後、九条結衣は全身の力が抜けたように、ソファーに崩れ落ちた。
「親権を求める?随分と遠回しな言い方ね」
九条結衣は皮肉っぽく笑った。
藤堂澄人のあの態度は、明らかに奪い取ろうとしているのに、どこが求めることなのか。
両頬を強く擦って、感情を落ち着かせようとした。もう何年も藤堂澄人のことでこんなに感情的になることはなかったのに。
しばらくソファーに座っていたが、立ち上がって二階へ向かった。
その時、家政婦はすでに九条初のお風呂を済ませ、着替えも終わっていた。九条結衣が部屋に入った時、家政婦は化粧台から立ち上がるところだった。
九条結衣が入ってくるのを見て、家政婦は一瞬戸惑い、無意識に出口の方を見た後、さりげなく視線を戻した。
「奥様」
九条結衣は頷き、九条初の方を見た。九条初は手に絵本を持って読んでいて、先ほど自分に似ているおじさんを母に紹介しようとしていたことなど、すっかり忘れているようだった。
九条結衣は密かにほっとしたが、家政婦が彼女の側に来て、小声で尋ねた。「奥様、藤堂さんはもうお帰りになりましたか?」
やっと息子が藤堂澄人のことを忘れてくれたと思ったのに、今度は家政婦が息子の前で彼の話を持ち出すなんて。九条結衣は眉をひそめた。
「ええ、何か用?」
九条結衣は険しい表情で、声に不快感を滲ませた。家政婦はそれを察し、すぐに手を振って説明した。「いいえ、違います。九条初が、お風呂の時ずっと藤堂さんのことを話していたので、ちょっと気になって」
それを聞いて、九条結衣の表情は少し和らいだ。息子が期待に満ちた目で自分を見ているのに気付き、九条結衣は我慢強く言った。「初、あのおじさんには彼女がいるの。これからママが婚活して、あなたにパパを見つけてあげるから、あのおじさんのことは忘れてね」
案の定、九条初は藤堂澄人に彼女がいると聞いて、すぐに落胆の表情を見せた。
「えー?おじさんに彼女がいるの?じゃあママはどうするの?」