松本裕司は少し耐えられず、唇を噛んで、躊躇いながら前に進み、低い声で呼びかけた。「奥様」
九条結衣は目を上げて彼を見た。いつもの決然として冷徹な顔が、今は弱々しく、唇の端に白い笑みを浮かべたまま、何も言わなかった。
「何を奥様って呼んでるの!結衣は藤堂澄人なんて人でなしとはもう関係ないでしょ!」
傍にいた夏川雫はもう我慢できず、思わず声を荒げた。
松本裕司は困ったように鼻梁の眼鏡を押し上げた。奥様が雇った弁護士だ、逆らえない、逆らえない……
九条結衣は松本裕司に怒りを向けることなく、歩き出した。何気なく振り返ると、その視線は松本裕司の後ろにある漆黒の瞳と出会った。
その時、その瞳は底知れぬほど黒く、ただ静かに彼女を見つめ、その奥には波風一つなく、冷淡で無関心だった。