「ホテルの入り口で、よく考えてみたんだけど、私たちにはまだ昔話をする必要があると思うわ」
藤堂澄人の低い声が頭上から聞こえてきて、九条結衣の心臓は再び締め付けられた。彼女は藤堂澄人の手を腰から払いのけることも忘れていた。
まだ笑みを浮かべている藤堂澄人の目元を見上げると、170センチを超える身長は女性としては決して低くないが、藤堂澄人のその大きな体格が目の前に立つと、あの懐かしくも形のない威圧感が押し寄せてきた。
たとえ今は穏やかな表情で、口元に笑みを浮かべていても、九条結衣にはプレッシャーを感じずにはいられなかった。
九条結衣が息子の話題を必死に避けようとしているところに、藤堂澄人が言った。「結衣、俺の息子がまだお前のところにいるみたいだけど、返すつもりはないのか?」
彼は口元に笑みを浮かべながら、見下ろすように彼女を見つめ、淡々とした声で、九条結衣が受け止めきれないような爆弾を投下した。
やはり彼は思い出していたのだ。
九条結衣は後ろめたさから、目を逸らし、返事を避けた。
藤堂澄人は彼女の逃げるような目つきを見て、思わず口元を緩め、目に宿る笑みを必死に抑えながら、彼女に身を寄せ、磁性を帯びた低い声で言った。
「まさか俺が忘れていると思って、ごまかそうとしているんじゃないだろうな?」
藤堂澄人に心の内を見透かされ、九条結衣の顔には一層の後ろめたさが浮かび、唇を噛みしめながら、怒りの色を帯びた目で彼を睨みつけた。
藤堂澄人は九条結衣の薄っすらと赤くなった耳を見て、少し驚いた様子を見せ、続いて、抑えきれない笑みが口元に浮かんできた。
いつも彼の前では高慢で負けず嫌いなこの女が、こんなにも珍しく顔を赤らめるなんて。
彼との距離が近すぎて恥ずかしくなったのか、それとも自分の「ごまかし」が見破られて動揺しているのか。
藤堂澄人は興味深そうに彼女の逃げるような目つきを見つめ、普段見られないような表情を見せる彼女に、何か心地よい感覚を覚えた。
しばらくして、九条結衣はぎこちない口調で言った。「藤堂社長はお忙しい身なのに、自分で息子を引き取りに来ないで、私が息子を連れて行くのを期待しているんですか?」
「いい度胸だ!!」と心の中で付け加えながら、整った顔立ちには軽蔑の色が浮かんでいた。