彼は九条結衣の手を掴んで、歯を食いしばって言った。「お前はまだ俺のことを想っている。俺に恋してしまうのを恐れて、こうやって避けているんだろう?」
彼はこのように簡潔に九条結衣の心の中の不安を露わにし、彼女の目の前に広げた。それに九条結衣の表情が、わずかに変化した。
「脳震盪が相当重症のようね。妄想が始まってるわ」
彼女は冷ややかな目で藤堂澄人を一瞥し、表情は相変わらず波一つない静けさを保っていた。
「昨夜あなたを泊めたのは、私のせいで怪我をしたからよ。それくらいの責任感はあるわ。でも、それ以上の意味はないわ」
そう言って、少し間を置いてから笑って言った。「もしかして、他人のために怪我をしても、同じように看病すると思ってるの?」
その表情は、まるで「甘いわね」と言わんばかりだった。
藤堂澄人は彼女の言葉に詰まり、怒りで表情がさらに暗くなった。
九条結衣が腕時計を確認し、「急いでるの。今から出かけないと。藤堂社長が急いでないなら、私が戻るまで待ってても構わないわ。送っていくから」と言った。
そう言って、ドアに手をかけた。
突然開いたドアの前で、ちょうどインターホンを押そうとしていた松本裕司は一瞬驚いた表情を見せたが、九条結衣の穏やかな顔を見るとすぐに得意の笑顔を浮かべた。「奥様」
「松本秘書?塩田町に出張に行ったんじゃなかったの?もう戻ってきたの?」
松本裕司は九条結衣のこの質問に一瞬戸惑ったが、すぐに何かを思い出したように、はっとして頷いた。
「あ...はい、急用が入ったもので、他の部署の者に任せて先に戻って参りました」
九条結衣はそれ以上追及せず、ただ松本裕司に頷きかけて言った。「ちょうどいいわ。藤堂社長をお願いね」
そう言って、後ろの水のように暗い表情の藤堂澄人には一瞥もくれずに、足早に立ち去った。
九条結衣が追及しなかったことに、松本裕司は思わずほっと息をついた。
危なかった、もう少しでばれるところだった。
部屋に入ると、それまで浮かべていた笑顔は、自分の上司の険しい表情を見た途端に凍りついた。
彼は...何か間違ったことをしたのだろうか?
さっき奥様の前でばれなかったはずなのに。
松本裕司は訳が分からず、社長の心中も読めないまま、不安な気持ちが募っていった。
「社...社長、本日お召しになる服をお持ちしました」