九条初は何も言わなかったが、父親への憧れは隠しきれないものだった。
おそらく、彼女が父親のことを好きではないと言うのを聞いたからか、九条初は彼女の前で藤堂澄人のことをあまり話さなかった。
しかし、そうすればするほど、九条結衣は息子の気持ちを無視していたことに気づき、心に申し訳なさが募っていった。
電話を切った後、九条結衣はリビングに座り、息子が父親のことを話す時の嬉しそうな表情を思い浮かべると、胸が突然痛くなった。
そして、藤堂澄人が九条初を彼女に返すと言い、争わないと誠実に語った姿を思い出すと、さらに複雑な気持ちになった。
相反する感情が、彼女の心の中でますます激しく芽生え始めた。
しばらくして、彼女はキッチンに行き、田中さんに「田中さん、もう少し多めに煮込んでください」と言った。
「はい、お嬢様」
スープを煮込むには時間がかかるため、九条結衣はリビングで待っているのではなく、二階に上がって仕事の処理をすることにした。
仕事を終えて階下に降りた時には、すでに夕食の時間になっていた。
彼女が階下に降りると、田中さんはすでに煮込んだスープを保温容器に入れており、九条結衣を見ると保温容器を手渡して、「お嬢様、スープができました」と言った。
「ありがとう、田中さん」
スープを受け取り、九条結衣が中庭に出ると、真っ赤なスポーツカーが門の外に停まった。
車から降りてきたのは、おしゃれな装いの女性で、茶色の大きなウェーブヘア、黒のフィットしたレディーススーツに、オートミール色のカシミアコートを羽織り、7センチのハイヒールを履いていた。
彼女を見た九条結衣の目に、驚きの色が浮かんだ。
挨拶する間もなく、その人はスーツケースを引きながら、門を開けて中に入ってきた。
「叔母様!」
その人は彼女を見て、同じく驚いた表情を浮かべた。「結衣、どうしてここにいるの?」
この人こそが九条家の叔母様、九条政の妹の九条愛だった。
この名前は中二病っぽく聞こえるが、九条爺さんが直々に付けた名前で、九条家の子供たちの中でも特に可愛がられた存在だった。
九条政は九条爺さんの最初の息子で、その次が九条愛という娘だった。
爺さんは男よりも女の子を重んじたため、娘が生まれた時にこのような愛らしい名前を付けたのだ。