群衆の中から、一人が袖から中指ほどの大きさのガラス瓶を取り出し、人混みを押しのけて九条結衣の前まで突っ込んでいった。
「このあま、死んじまえ」
その声が落ちると同時に、九条結衣は思わず顔を上げ、その人物が既に開けた小さなガラス瓶を彼女に向かって投げるのを目にした。
九条結衣は胸が沈み、不吉な予感がした。
今、彼女はこの群衆に囲まれ、逃げ場はどこにもなかった。
その瞬間、彼女の手首が急に掴まれ、体が強く引っ張られた。彼女は全く反応する間もなく、その手に引かれて群衆の中から引き出された。
そして硬い胸に抱きとめられ、すぐ後ろから鋭い悲鳴が聞こえた。
九条結衣は思わず振り返り、先ほどまで彼女の後ろを塞いでいた二人が今や顔を押さえて苦しみ、むやみに叫んでいるのを見た。
濃硫酸!
その人の顔を見て、九条結衣は先ほど彼女に投げられた小瓶の中身が何だったのかを悟った。
九条結衣の目には、一瞬にして冷たい霜が降りたような色が浮かんだ。
もしさっきの人が一歩早く彼女を引っ張らなければ、その濃硫酸は今頃彼女の顔にかかっていただろう。
そう思いながら、彼女が顔を上げてその人に感謝しようとした時、怒りを押し殺した深い瞳と目が合った。
九条結衣はその場で固まり、見覚えのあるその端正な顔を見つめ、一瞬にして目頭が熱くなった。
「あなた...どうして戻ってきたの?」
昨日アメリカに行ったばかりじゃないの?時間を計算すると、彼が出発してからここに現れるまで、飛行機での往復時間しかない。
「どうしてだと思う」
藤堂澄人の顔は、恐ろしいほど暗かった。
飛行機を降りたばかりの時にネットのニュースを見た。あの目を覆いたくなるような攻撃的な内容を見て、彼の胸の中の怒りは抑えきれないほど燃え上がった。
彼女のもとを離れたばかりなのに、早くも誰かが彼女を虐めている。本当に彼、藤堂澄人を死人だと思っているのか?
彼女が直面するかもしれない危険を考えると、一瞬たりとも我慢できず、すぐに引き返してきたのだ。
「社長、奥様」
松本裕司は鼻の上の眼鏡を押し上げながら、近づいてきた。
どうして松本裕司まで戻ってきたの?
九条結衣の目には、疑問の色が浮かんだ。
サンフランシスコの件がそんなに簡単に解決できるなら、藤堂澄人が直接行く必要はなかったはず。