730.卑しさが足りない人もいる

高橋洵の目には、娘の高橋夕が妻である自分よりもずっと大切な存在だった。高橋家では、高橋洵の顔色を伺うだけでなく、高橋夕の機嫌も伺わなければならなかった。

でも、彼女は本当に高橋洵を愛していた。彼の才能を尊敬し、高橋洵の妻になれるなら、何でも喜んでするつもりだった。

彼女は、一生懸命に彼に尽くし、彼の娘にも優しくすれば、いつかは彼の心を動かせるはずだと思っていた。

「夕……」

高橋夕の侮辱に直面して、彼女は悲しみと失望の表情を浮かべた。「あなたがそんなことを言っても気にしないわ。私はお父様を愛しているから、何でも捧げる覚悟よ。あなたは彼の娘だから、私は精一杯面倒を見るつもり。あなたに対して、私は後ろめたいことは何もないわ。」

高橋夕は笑った。「そうね、私に対してはたしかに後ろめたいことはないでしょうね。」

彼女は眉を上げて黒崎芳美を見つめ、こう言った。「でも、それがどうしたの?あなたがどうして正式に高橋奥様の地位を得たのか、よくわかっているはずでしょう。」

高橋夕の「指摘」に、黒崎芳美の顔色は一層青ざめた。

彼女は心を痛めながら高橋夕を見つめ、この二十数年間、実の子供たちを顧みず、目の前のこの娘の世話に心血を注いできたのは、ただ彼女に認めてもらいたかっただけなのに、と思った。

どんなに努力しても、この娘の目には、彼女は父親に擦り寄る野良女でしかなかった。

藤堂澄人の前で演じた悲しみと失望とは違い、高橋夕の前での今この瞬間の失望は本物だった。

しかし、高橋夕に失望しても、高橋洵への思いは捨てられなかった。当時、藤堂仁に見つかるリスクを冒してまで高橋洵と一緒になろうとしたのは、あのロマンチックで情熱的な男性を本当に好きだったからだ。

彼は藤堂仁のように無愛想で真面目一辺倒ではなかった。藤堂奥様という地位と尽きることのない金以外に、夫婦間のロマンスや情緒を、藤堂仁は彼女に与えることができなかった。

だから、高橋洵の個人リサイタルで、才能豊かで話し方や振る舞いも洒落た面白みのあるその男性に一目で魅了され、それ以来、抜け出せないほど深く恋に落ちてしまった。

高橋夕には、この女が自分の前で演技をするのを見る忍耐力などなかった。彼女の心は、あの美しく高貴な藤堂澄人という男性を手に入れることだけに向けられていた。