892.規則を知らない者

田中真斗は九条結衣の冷たい視線に心が揺らいだ。思わず彼女の顔から目を逸らしたが、すぐに思い直した。所詮は女に過ぎない。スーツを着こなして、後ろに社長秘書を従えているからといって、本当に自分を社長だと思い込んでいるのか?

しかし、この女の心の切り替えの早さには驚いた。夫は死んでいるかもしれないのに、家で泣き暮らすどころか、精力的に取締役会に現れるとは。

この女は、かつての藤堂仁の妻よりもずっと手強い。

まるで彼女を意図的に傷つけようとするかのように、田中真斗は場を全く考えずに口を開いた:

「藤堂社長がこんな大変な事態なのに、藤堂奥様は家にいないで、どうして会社に来る気になれるんですかね?藤堂社長と奥様は仲睦まじいと聞いていましたが、奥様は全然悲しんでいないように見えますが?」

田中真斗のこの言葉は、意図的に九条結衣の傷口に塩を擦り込むようなものだった。結衣の後ろにいた田中行と松本裕司は同時に表情を曇らせた。

しかし九条結衣は、そう言われても平然と目に宿る冷たさを抑えて言った:

「うちの藤堂社長は今のところ行方不明なだけです。私が悲しみすぎるのは、むしろ社長に不吉なことを言っているようなものではないでしょうか。それより田中会長、お聞きしたいのですが、藤堂グループのルールはあなたが決めるんですか?大株主が来ていないのに、勝手に決議できるんですか?」

九条結衣は微笑んで、指で会議テーブルを軽く叩きながら、視線を一人一人の顔に這わせた。叩く度に、まるで全員の心を叩いているかのようだった。

出席者たちは気まずそうな表情で、九条結衣の意味ありげな笑みを避けるように目を伏せ、黙り込んだ。

「今になって分かりました。藤堂グループにもルールを知らない人がいるんですね。」

藤堂グループのことを言っているようで、明らかに田中真斗の礼儀知らずを指摘していることは皆に伝わっていた。

田中真斗は一人の若い女にこんな遠回しに非難されて、顔色が一気に悪くなった。

九条結衣は彼を無視して、いつもの藤堂澄人が座る取締役会議長席に座った。

細身の女性ではあったが、議長席に座った時の威厳は、その場にいる誰にも引けを取らなかった。

ビジネス界で何十年も渡り合ってきたと自負する男たちでさえ、九条結衣が放つ威圧感に押されて、誰も先に声を上げる勇気が出なかった。