270 賀川洵だけを、もしあの子が死んでいなかったら

盛山心結はちょうど温泉から上がったところで、上品な浴衣姿で、頬を紅潮させながら、仲間と少し話をしてから、一人で彼らの方へ歩いてきた。「まだ食事中?」

盛山庭川は頷いたが、表情に感情は見られなかった。

「さっきの宴会の途中で、どうして急に出て行ったの?何かあったの?」盛山心結は何気なく尋ねた。

視線は賀川洵に向けられていた。

「何でもない」

みんなが慌てて出て行ったのに、何でもないはずがない。

盛山心結は後で人に聞いてみたが、何も分からなかった。

「他に用事は?」盛山庭川は彼女を見た。

「別に、ただ見かけたから挨拶に来ただけ」盛山心結は笑顔を浮かべた。「賀川さん、温泉に入られたら?足のご怪我の回復にいいと思います」

「ありがとうございます」鐘见寧は微笑んで返した。

盛山誠章夫妻が宴会をここで開いたのは、医師から鐘见寧の足の怪我の回復に適度な温泉浴が良いと聞いたからだった。

「今夜は忙しくて、もし行き届かない点がありましたら、どうかご容赦ください」

盛山心結は主催者としての態度を示した。

鐘见寧も笑いながら「盛山さん、お気遣いありがとうございます」と言った。

「どうぞごゆっくり」

盛山心結はそう言って、立ち去った。

仲間と共に四人から少し離れたテーブルに座った。

四人の中で鐘见寧だけが女性で、彼女のお茶がちょうど切れたところで、急須に手を伸ばそうとすると、賀川洵が手渡し、盛山庭川が受け取って彼女のために注いだ。

賀川礼は専ら彼女のために料理を取り分けていた。

三人の男性が、彼女の周りを取り巻いていた。

盛山心結はテーブルの下で手を強く握りしめた。

ただの孤児で、足の不自由な女なのに、何の資格があるというの!

実の従兄までが彼女に特別な目を向けるなんて、あの目のせい?

「心結、この賀川さんの奥様、すごい手腕よね」仲間の一人が舌を打った。「あなたのお兄さんが異性にこんなに優しくするの、見たことないわ」

「盛山若社長は普段姿を見せることもないのに、まして人と食事なんて」

「きっと賀川さんの面子があってのことでしょう。でなければ、孤児の彼女に彼らと同じテーブルで食事する資格なんてないはず」