彼は今や彼女との協力に幻想を抱くことはなくなり、彼女を見るたびに、どこもかしこも嫌な感じがして、見ているだけで胸が悪くなる。才能だの天才だのと、全部消えてしまえばいい!
谷川陽は一瞬警戒したが、ディレクターが今この時点で彼らのカメラを切り替えて放送することはないだろうと考えた。
彼は気づいた。番組スタッフは今、夕子先生のカメラワークを多くロングショットで撮影し、クローズアップの時でも慎重になっている。おそらく百万の注意を払い、何人もの人員を配置して彼女を監視しているのだろう。彼女が物議を醸す発言をしないように警戒しているのだ。
しかし、彼女の言葉には心から同意する。世論の誘導、正しく適切なマーケティングは、黒を白に変えることができる。曽我若菜はまさにその生きた例だ。
夏目弥生が言いたかったのはまさにそれで、天星エンターテインメントが必死になって曽我若菜のイメージを回復させようとしなければ、ファンたちはとっくに離れていただろう。
現状を見ると、資本の力があまりにも強大だと感じざるを得ない。彼らが望めば、コントロールできないものなど何もない。世論も同じだ。
決勝のステージでは、メンターたちはもう何も決められない。講評も形式的な無難なコメントばかりで、励ましの言葉だけだ。
国民プロデューサーをテーマにしたオーディション番組として、最終決定権は当然、視聴者とファンに与えられる。それによって彼らに番組への参加の楽しさとデビューメンバー選出の満足感を味わってもらえる。
監督の曽我廣波も焦りの中にいた。頭を抱えながら、番組のテーマである公平公正、国民プロデューサーたちが心の中で最適なデビューメンバーを選んで送り出すということに悩んでいた。
しかし今となっては、曽我若菜の票数が追いついてきて、決勝前に7位まで上り詰め、さらに狂ったような勢いで上昇を続けている。彼女をデビューさせれば番組は批判の嵐に見舞われ、デビューさせなくても同じように批判されることになる。
最終的に、関係者の意見を求めた結果、成り行きに任せることになった。視聴者がどんなに批判しても、番組はもう終わりに近づいているので、どうでもよくなった。
それに、投票したのは彼らであって、番組側が票を入れたわけではない。批判するなら、むしろ無思考に曽我若菜に投票を入れている人々を批判する方が適切だろう。