国民的夫を連れて帰る(5)

鈴木和香の頭には、3ヶ月前、酔った勢いで彼のベッドに潜り込み、首を掴まれて怒鳴られた言葉が一瞬によみがえった。

「鈴木和香、これは俺に枕営業をしろってことか?」

「いいだろう、鈴木和香。俺と遊びたいなら、とことん付き合ってやる!」

和香は箸を持つ手に、思わず力が入った。胸がドキドキと高鳴っている。

あの日の彼は、きっと怒り狂っていたから、あんなひどい言葉を口にしたのだろう。

この3ヶ月間、彼女は彼を避けてきた。しかし、どんなに避けても、結局はこうして顔を合わせてしまう。

仕立ての良い黒いスーツを身にまとった季雄は、すらりとした体躯を際立たせていた。会場の華やかな照明が彼の顔に当たり、元々整った顔立ちをさらに立体的に見せている。高い鼻、薄い唇、表情豊かな目元、その美しさはまるで別世界の存在のようだった。

芸能界にはイケメンや美女は珍しくない。その辺を歩いているだけでも、目を引く存在はたくさんいる。しかし、季雄には特別な魅力があった。周囲の景色を一瞬で色褪せさせ、自分自身を焦点へと変えてしまう力。

彼の突然の登場に、会場は30秒ほど静まり返った。『世の末まで』の監督が最初に我に返り、ワイングラスを手に、丁寧な口調で近づいてきた。「来栖社長…」

監督の声で、会場の雰囲気は少し和らいだ。皆、挨拶をしても返事はないと分かっていながらも、笑顔で季雄に挨拶をした。「来栖社長、こんばんは」

来栖季雄は周囲の挨拶など聞こえていないかのように、視線をそらすことなく、ゆっくりと席の方へ歩いていく。ただそれだけの動作なのに、人々を魅了するオーラを放っていた。

監督はワイングラスを手に、季雄の隣に付き添い、笑顔で話し続けている。

鈴木和香は席に座っていた。最初は人の波に遮られ、距離があったため、季雄の姿をしばらく見つめていられた。しかし、季雄が近づいてくるにつれ、時折まぶたを上げてチラリと見るのが精一杯になった。そして、季雄がすぐそばまで来た時、彼女はもう顔を上げることすらできず、ただ席に座り、箸を持ち、ぎこちなく食べ物を口に運んだ。季雄が現れる前の、水を得た魚のような余裕は、そこにはなかった。

「来栖社長、お越しになるなら、事前にご連絡いただければ、お迎えにあがったのに…」監督の言葉が和香の耳に届くと同時に、季雄が自分の席の隣まで来たのを感じた。和香は思わず箸を握りしめ、背筋をピンと伸ばし、皿の上の食べ物を見つめた。口の中のものを噛む動作さえも、ぎこちなくなっていた。

ようやく来栖季雄が自分の横を通り過ぎたと思った瞬間、和香は、彼が自分の後ろの椅子を引き、腰を下ろしたことに気づいた。