甘やかして、可愛いんだから

冬木家の豪華なリビング。

鈴木知得留は、冬木雲雷に叱られ、頬を真っ赤に染めていた。

ちらりと横目で冬木空を見やると、明らかに我関せずといった様子で、知らんぷりを決め込んでいる。

知得留は唇をきゅっと噛み締めた。こんな状況で、ただ謝るだけでは意味がないことくらい、よく分かっている。それでは、自分の無知と無鉄砲さを際立たせてしまうだけだ。

深呼吸をして。知得留は、はっきりと言った。「昨日は私が間違っていました。今日、こうして謝罪に伺ったのは、私のわがままが簡単に許されるべきではないと分かっているからです。でも、婚約破棄は、私たち双方にとって良いことではありません。ですから、どうか、冬木おじさま、私の若気の至りということで、一度だけチャンスをいただけないでしょうか。必ずや、冬木家のお嫁さんとして、立派に務めを果たしてみせます」

もちろん、冬木雲雷がそう簡単に許すはずがない。それでは、自分の面目が立たないではないか。小娘に振り回された、などと。

だが、そこへ、鈴木山が駆けつけた。冬木家の重苦しい空気を感じ取り、すぐさま助手に、持参した年代物の高級酒を雲雷に差し出すよう促した。「冬木さん、申し訳ない。私の教育が行き届かず、この子は小さい頃から甘やかして育ててしまったもので」

「まったく、しっかり躾け直してもらわんと。次から次へと、少しも良家のお嬢さんらしくない」

「ええ、ええ。その通りです。家に帰ったら、厳しく教育いたします。ですから、婚約の件は……」

「婚約は、そのままに」知得留は父親に向かって言った。「もう反省したわ。わがままは慎むべきだって。鈴木家と冬木家の結婚は、私と冬木さんだけの問題じゃない。両家の立場や名誉にも関わることだって、よく分かったの」

鈴木山は、信じられないといった様子で娘を見た。一体、どういう風の吹き回しだ?

「お父さん、私は自分の愚かさに気づいたの。この結婚を続けたい」知得留は、父親にきっぱりと言い切った。

鈴木山は眉をひそめ、知得留の耳元で小声で囁いた。「本気か?」

「ええ、本気よ」

「冬木空のことは、よく考えたんだろうな?」鈴木山は念を押した。

誰もが、冬木空は役にたたないだと思っている!だが、彼女だけは、この男がどれほど強いなのかを知っている。

知得留は再び頷いた。「ええ、お父さん、よく考えたわ」

鈴木山は数秒間、沈黙した。金融業界が非常に不安定な今、彼の立場からすれば、財閥の支援を得られるのは願ってもないことだ。それに、この婚約は東京中、いや、日本中に知れ渡っている。婚約破棄は、両家の面子を潰すことになるのだ。

ならば、仕方ない。

鈴木山はすぐに口を開いた。「冬木さん、娘が馬鹿なことをして、笑われただろう。知得留の一時の気の迷いで犯した過ち、本人も反省していることだし、大目に見てやってくれんか。婚約の件は、このまま進めさせてもらいたい。二人とも、もう若くはないんだ、近いうちに日取りを決めよう」

「まあ、長年の付き合いもあるし、小娘相手に目くじらを立てるつもりはない」冬木雲雷は内心穏やかではなかったが、両家の縁組は双方にとって利益がある。それに、金融界の取締役である鈴木山が自ら謝罪に来たのだ。これ以上、突っぱねてしまえば、両家の関係にひびが入る。雲雷は、しぶしぶといった様子で頷いた。「だが、釘を刺しておくぞ。もし、また同じようなことがあれば、ただでは済まさん!」

「もちろんですとも。今回のことで、娘も十分に懲りたはずです」鈴木山は調子を合わせた。

「よし、では、この件はこれで決まりだ。後日、吉日を選んで相談しよう」雲雷が言った。

「ああ、そうしよう」鈴木山も快く応じた。

大人たちの間で、形式的な会話が交わされ、場は和やかな雰囲気に包まれた。

鈴木知得留は、冬木空の方を向いた。

冬木空も、彼女の方を見ていた。

知得留はにっこりと微笑んだ。その笑顔は甘く、明らかに好意を示していた。

冬木空は表情を変えず、視線をそらし、全く取り合おうとしなかった。

「そうだ、私はまだ仕事中だった。そろそろ戻らねば。冬木さん、私はこれで失礼する」鈴木山はそう言うと、娘の方を向いた。「知得留、一緒に帰るか?」

「私は空さんと出かけたいの。婚約はしているけれど、お互いのことをよく知らないから、結婚前に、もう少し親睦を深めたいわ」

「それは良いことだ」冬木空が口を開く前に、雲雷が言った。「空、お前は男なんだから、もっと積極的に行かんとな」

「はい」冬木空は、父親には敬意を払っているようだった。

数人が、またいくつか当たり障りのない言葉を交わし、鈴木山は助手を連れて帰って行った。知得留も冬木空と一緒に冬木家を出て、自分の車に戻った。

静まり返った車内で、冬木空の冷たい声が響いた。「鈴木さんは、一体、何を企んでいるんだ?」

「私が本当にあなたと結婚したいと思っていると信じてもらうのは、そんなに難しいことかしら?」知得留は問い返した。

「ああ、難しい」

「冬木空さん、今、私が何を言っても、あなたは信じないでしょうね。それに、何を言っても無駄かもしれない。でも、一つだけ認めざるを得ないことがあるはず。私たちの結婚は、双方にとって有益だということよ。私はよく分かってる。冬木家に対して、あなたも、名ばかりの相続人だってこと」

冬木空が18歳の時、交通事故に遭った。事故後、冬木家の若旦那は大事なところに怪我を負い、子孫を残せない、という噂が流れた。財閥は、後継ぎがいないことを許さない。そこで、冬木家の次男、冬木郷(ふゆき きょう)が当然のように後継者候補となったのだ。

よくよく考えてみれば、前世で田村厚が、知得留と冬木空を罠にはめ、関係を持たせたのは、一つには、私の死を正当化するため、もう一つは、根岸佐伯が何の咎めもなく冬木郷に乗り換え、正真正銘の冬木グループの相続人と結婚できるようにするためだった。

これほど陰険で狡猾な企み、生まれ変わらなければ、見破ることなどできなかっただろう!

知得留はこみ上げる感情を抑え、続けた。「あなたの継母は、あなたがすんなりと冬木グループを継ぐことを許さないでしょう。でも、私があなたと結婚すれば、あなたは相続人の座を争うための、より大きな力を手に入れることができる。そうでなければ、私はあなたの異母弟と結婚することだってできるのよ。鈴木家の力があれば、あなたのお父様も断れないはずだわ」

「脅迫か?」冬木は眉を上げた。

「いいえ、ただ、メリットとデメリットを分析しているだけ。冬木若旦那は聡明な方だから、私たちの結婚の利点はお分かりのはず」

「つまり、私には多くの利点がある、と。では、あなたは何を求めている?」冬木空は単刀直入に尋ねた。彼女の言葉を鵜呑みにするつもりはないようだ。

知得留は答えた。「甘やかしてください。」

冬木空の瞳が、ぎゅっと細められた。明らかに、知得留の言葉に驚いている。

「甘やかして、可愛いんだから!」知得留は真剣な眼差しで、一言一句、はっきりと告げた。

冬木空の唇の端が、再びひくりと引き攣った。その瞬間、彼は、自分が本当に狂人と出会ってしまったのだと確信した。

「私は公序良俗を守り、浮気なんて絶対にしないし、あなたを裏切るようなこともしない。この一生、あなただけを愛すると誓う。他の男なんて、たとえ裸で目の前に現れたとしても、見向きもしないわ……」

「鈴木知得留!」冬木空は、もう聞いていられない、といった様子だった。

記憶の中のこの男は、口数が少なく、感情を表に出すこともほとんどなかった。

それが、今は明らかに、彼女の言葉に怒りを覚えている。

知得留は、大きく見開いた瞳で、まっすぐに彼を見つめた。その瞳は、どこまでも真摯だった。

冬木空は、くるりと視線をそらし、冷たく言い放った。「本音を言え!」

知得留は言葉を失った。

この男、全く色気がない。

彼女は言った。「あなたに守って欲しいの。そして……私の家族も」

冬木空の表情が、さらに険しくなった。その瞳には、疑いの色が濃く滲んでいる。

知得留は続けた。「鈴木家が、今、守られる必要があるなんて、信じられないかもしれない。でも、事実なの。悪意を持った人間がたくさんいて、私は一人残らず排除しなくちゃならない!だから、信頼できる人が必要なの。そして、あなたを信じている」