落花生と大豆の収穫時期には、鈴木正大が率いるもう一つのグループが、請け負った山で忙しく働いていた。
山の麓は平坦で、日当たりが良く、水はけも良かったため、鈴木花和は当初の計画通り、この場所を野菜栽培用地として開拓した。
そして山の麓から中腹にかけては、果樹を植えることにした。
山頂部分については、鈴木花和は山の自然な地形を残し、その中に山野の植物を混ぜて植えることにした。
この時、百人以上の人々が、鎌を持つ者は鎌を、のこぎりを持つ者はのこぎり、シャベル、鍬など、様々な開墾道具を手に持っていた。
このチェーンソーは、オイルとガソリンを入れれば動き、瞬く間に大きな木を切り倒すことができ、それほど労力を必要としなかった。
これは以前の開墾作業よりもずっと便利だった。
面倒なのは実は木の根だった。
しかし、今では木の根も問題ではなくなった。
パワーショベルで一掻きすれば根が掘り出され、人力で一日や数日かかる作業がずっと楽になった。
鈴木花和は県にパワーショベルがあることを聞き出し、直接2台をレンタルして持ち帰った。
一日千元の賃金だった。
千元の賃金は、三、四十人分の一日の賃金に相当した。
このパワーショベルでの土掘りや根っこの掘り出しは、三、四十人よりもずっと迅速だった。
パワーショベル2台で二つのチームに分かれ、山の開発はずっと早くなった。
百人以上の人々と2台のパワーショベルで、二日の作業で一つの山を整備できた。この効率は驚くべきものだった。
もちろん、鈴木花和が支払う賃金も相当な額になった。
パワーショベル1台千元で、2台で二千元。
百二十人の賃金は、男性が四十元、女性が三十元。
男性百人、女性二十人で、一日の賃金は4600元になった。
そのため、賃金だけで一日六千元かかった。
さらにお茶や、一日一食の食事に加えて午後のお茶など、これらの費用を合わせると数百元になった。
これだけの出費がある中で、効率が上がらなければ、鈴木花和はこれほど多くの人を雇う価値があるのか考えなければならなかった。
六つの山を、百人以上の人々と2台のパワーショベルで、十数日で完了させた。
次に、細い金網で六つの山の周囲を囲む作業を始めた。
これもまた大きな工事だった。