以前の佐藤清美ならこんな言葉を口にすることはなかっただろう。
雲さんは夏川清美の手を握りしめ、震える声で「清美……私のためにそこまでする必要はないわ」と言った。
この数年間、雲さんは清美が活発で可愛らしい小さな女の子から、臆病で自信がなく、大きな声で話すことさえできない娘に成長していく姿を見て、胸が痛み、心配でならなかった。
先ほど夏川清美が鈴木政博を傷害罪で告訴すると言った時、雲さんの心は温かくなった。
しかし、彼女は首を振った。
今や林家全体が鈴木の母娘に牛耳られ、林富岡も彼女たちを信用し切っている。さらに二ヶ月後には林夏美が結城家の次男と婚約することになっている。
結城家は名門中の名門。そうなれば、林夏美にとって清美を殺すことは蟻を踏み潰すようなものだ。
今、鈴木政博を告訴することは自ら死に道を選ぶようなものだった。
「私にとって価値があると思えば、それでいいの」林夏美は母を早くに亡くし、元の記憶からはほとんど何も思い出せない。あるのは他人の作り話ばかり。でも雲さんは違った。
夏川清美が受け継いだ記憶の中で、雲さんは元の清美に最も純粋な愛情を注いでくれた人だった。
夏川清美は前世でも母の愛を知ることはなかったが、雲おばさんを通してそれを感じることができた。この微妙な感情は、目の前の可哀想な女性に対して強い保護欲を抱かせた。
「でも政博さんは末子さんの弟よ。私たちが告訴したら、彼女は絶対にあなたを許さないわ」雲さんは小さな声で言った。
「告訴しなくても、彼女は私を許さないわ」夏川清美は雲さんを安心させようとしたが、心の中では『私も彼女たちを許さない』と付け加えた。
「清美……」
「ゆっくり休んでください」夏川清美は雲さんの言葉を遮った。
そのとき健二が入ってきて、「林さん、藤堂さんから電話です」と告げた。
「専属の看護師を手配しましたから、ゆっくり休んでください。他のことは私に任せて」夏川清美は一言残して病室を出た。
車に乗ると、夏川清美の電話が鳴った。
林富岡からだった。
夏川清美は無表情で電話を切り、健二に尋ねた。「健二さん、不動産の営業の方をご存知ですか?」
「林さんは物件をお探しなんですか?」健二は意外そうだった。